「夜のななふし-01」楢﨑古都
夜のななふし-01|楢﨑古都 @kujiranoutauuta #note #熟成下書き https://t.co/7U5p9ROKmZ
— ✿すいすい✿ (@kujiranoutauuta) 2019年12月28日
木製のベンチはところどころささくれ立っていた。枝のふりをしたななふしが、寄りかかった背もたれの上にいる。ゆらりとも動かぬ細長い体が、背景に似合わず目立った。
街灯に照らされたジャングルジムに、やせぎすの幼稚園児がへばりついている。このまま、おいて帰ろうか。ふと、マフラーに顔をうずめて本気で考え込む。けれど、そんな考えはすぐにため息とともに白くなって消える。私がほんとうにハルキをおいて帰ったりしたら、あいつはぺちゃんこの鼻と大きくあけた口から、鼻水とよだれを垂らして泣きじゃくるに違いない。堪えかねて姿を現せば、涙でぬれた顔面を私の安いダッフルコートに押し付けてきて、さらに甲高く泣き叫ぶに決まっている。しがみつかれて、私はしばらく身動きも取れないだろう。
冷えた手のひらをライターの火で暖めながら、私は煙草を吸い込んだ。立ち昇る煙に、眉間のしわを寄せてひたすら肺に煙を送り込む。
いっこうに降りてくる気配は見せずに、ハルキはたまにこちらをうかがって振り返った。暗闇にちらつく赤い火を確認しているのだろう。母親にされたのと同じ仕打ちを、二度と繰り返させないために。親父の愛人は私の母と同様に、子どもだけ残して姿を消した。
母親に置き去りにされた直後、ハルキは明けても暮れても泣きじゃくってばかりいた。私にはなだめようもなく、途方にくれてはいつも無視していた。それがある日、何の気なしに髪を束ね煙草をふかしていたら、ハルキが泣きやんだのだった。母親を、連想させたらしい。あの女と同じ髪型で、同じように背を向けて煙草を吸っていた後ろ姿が。それからハルキは、私が煙草を吸ってさえいれば泣かなくなったのだった。
細い手指に息を吐きかけ、飽きもせずジャングルジムに登っている。煙草の灰を落としながら、背もたれの上にいる虫とハルキとを見比べた。組まれた鉄棒にしがみついて、またこちらを振り返る。私は、身じろぎひとつしないななふしの腹を、指先ではじいて砂利の上に落とした。
今週のお題「二十歳」
「かなしみの羊水 」楢﨑古都
まるで、かなしみの羊水に溺れてしまったみたいだ。
ぬるい水にあおむけの体で浮き沈みしながら、依子はおもった。
たまに口元へかぶるプールの水はなめらかで、カルキ臭もやわらかい。たゆたっていると、コースを泳いでいくひとの水をかく音が、わずかな波とともにからだにつたわってくる。五感をすべて水の中へゆだねてしまうと、外界との接点は閉ざされて、自分自身の輪郭をも忘れてしまいそうになる。
身をひるがえして水中をすすんだ。すると、どこからともなく魚の気持ちに包まれて、依子は全身をうろこに包まれた生き物へと姿を変える。努めて物を考えず、深くもぐって水をかく。いま、依子がなりきっているものは、この世へ生まれでる以前の海を、憂いを帯びたむなびれで泳いでいたものなのである。
祖母が亡くなった朝も、恋人が去っていった晩も、依子は変わらず温水プールに沈み、ひそかに泣いた。ひとの体温よりも、あまってしまった時間よりも、ここでかなしみを重ねていた方が、ずっと簡単に立ち直れた。ひとりきりで生きている。そのことを溺れるたびに自分にいいきかせ、毎日、毎日くりかえした。
呼吸をとめて、意識をなくして、やがていのちを亡くしたとしても、わたしはくらげの亡骸ほどうつくしく、ここにとどまることはかなわない。
だから、依子は魚になって、対峙しなくてはならない世間をひょろりひょろりと身をかわしながら生きてきた。明日もあさっても、もしかしたら三か月先も、自分の仕事は決まらないかもしれない。そのうち貯金も尽きて、この町にすらいられなくなるかもしれない。
でも、正直なところ、それならそれでよいのかもしれない。求めなければ、必要以上にかなしむことは少なかった。かろうじて、彼女をささえていたものが、ひとつ、またひとつと失われていくのを、依子はだまって見送るしかなかった。ひとも、場所も、なくすごとにさらさらと記憶からもこぼれ落ちていった。
依子には、もはやかなしみのありかがわからない。ただ、ここはほかよりも居心地がいいのだ。
平泳ぎでへりまでいき、クロールで一往復ゆっくりと泳いだ。そこに引かれているラインの上をずれないよう、気をつけながら。途中で、何度かひとをよけたが、誰かに急かされたり、ぶつかられることはなかった。泳ぎきってしまうと、ほんとうに自分にはもう何も残されていないのだな、と芯からすとんと気が抜けた。
死んだ魚でさえ、その目に死という確固たる意志をもって見えるのに。けれど、まさか依子に、そんな気概があるはずもなかった。
プールから上がると、天井まであるガラス窓から差し込む光が、濃いオレンジ色をたたえて、依子のからだを照らした。太陽がすっかり傾いていた。西日を受けて、目をつむる。まぶたの裏があかくそまっていた。
足元に、かなしみがみずたまりをつくっていく。依子はそれを見下ろして、心底名残惜しく想った。
水泳帽を外し、塩素できしんだ髪の毛を手櫛でほぐすと、さらにいくすじかの悲しみが流れた。
魚はものなんて考えない。
依子は自分に言い聞かせる。ひとあしごと、弾力のあるゴム製の床を踏みしめながら、頭を振って、しずくをはらった。はらって、さっそく顔をあらわした不安やら焦燥やらを一緒によそへとおいやる。
だいじょうぶ、大丈夫。
依子はもう一度、自分自身に言い聞かせた。
そうして、また明日、ここへ戻ってくるまでのあいだ、さりげなくふるまう過ごすすべを思い出す。
かなしくなったら、魚の気持ち。
伏せせた目じりとくちもとが、にわかにゆるんだ。
2009年10月19日
結ひあげる今日までの日々茜色やがて群青束の間の恋(楢﨑古都)
05 ◇ 缶ペンケースと鰯雲 ◇ (終)(この素晴らしい世界)楢﨑古都
05 ◇ 缶ペンケースと鰯雲 ◇ (終)|楢﨑古都 @kujiranoutauuta #note #熟成下書き https://t.co/jK59dtmSMr
— ✿すいすい✿ (@kujiranoutauuta) 2019年12月27日
教室の窓際の席からは、真下にイチョウの木とツツジの植え込みが見える。
ユウは一人机に向かって、次の授業の予習をしているようだ。その左腕はギプスで固定され、彼の怪我がまだ完治していないことを周囲に見せつけている。彼は、僕と同じように屋上から飛び降りた。ただし、イチョウの木がクッションとなって、一命を取りとめたのだった。
『お前、ほんとひねくれてんな』
頭の後ろに両腕を回した格好で、がきんちょは僕をおちょくった。
僕はあの瞬間、ユウを助けようとしたのだった。
『ここでは、個人なんてないのと同じなんだよ。集団に染まることに意味がある。はじかれたら、それに従わなくっちゃならないんだよ』
『ふん、関係ないだろ。お前は死んだ、あいつは助かった。ただ、それだけのことだ』
奇跡的に軽症で助かったユウへのいじめは、自然となくなった。飛び降りという偉業を成し遂げた彼の存在は、生徒たちに畏怖を持って迎えられ、ひそかに英雄へと仕立て上げられた。もう誰も、ユウには手を出しできない。
そしてユウも、この教室の中で傍観という集団にまみれる術を覚えた。もう人の後ろに隠れて、腕をつねるなんて面倒臭い真似もしない。
『考えてみると、必死に抵抗していた僕って、ひどく格好悪かったのかもな。ユウの方が、ずっと頭がよかったのか』
成仏できなかった僕の、この世への心残りはユウだと思っていた。彼への復讐こそ、僕の成仏には必要不可欠だと思っていた。だから僕は、がきんちょと共にこの教室を、毎日毎日観察し続けた。
けれど、もうユウへの復讐心なんて僕の心の中には残っていなかった。
『なんか、飽きちゃったな。僕は、ここに残って、何がしたかったんだろう』
相変わらず成仏できない僕は、なんて未練がましいのだろう。
『ふん。お前はこの教室の、いじめの連鎖を止めるきっかけくらいはつくったのかもしれないぜ』
ふいに、がきんちょは僕を小突いて、前を向かせた。
『まあ、見てろよ』
ユウが、ノートから顔を上げた。視線が前方を見つめる。ああ、また新しい菊の花束が生けられるのだ。誰からともなく、嵐の前の静けさを予感させるしのび笑いが聞こえ始める。花瓶は、帰りのHRを待つ教卓の上に供えられた。
僕はがきんちょと一緒に、生徒たちの一挙手一投足を見つめていた。
瞬間、缶ペンケースが勢いよく黒板に投げつけられた。激しい衝撃音とともに、中身が飛び散る。僕は驚いて、その軌跡の元をたどった。
『お前ら、いい加減にしろよ!』
視線の先で、ユウの怒声が教室内に響きわたる。缶ペンケースを投げた右腕が、まだ彼の頭の横でわなないていた。生徒たちの視線が、いっぺんにユウへと注がれた。
『そろそろ、逝こうか』
僕は、隣でこちらを伺っているがきんちょに言った。言葉にしたのは、自分でそれを自覚するためで、僕の体はすでに光に溶けはじめていた。
教室の中の挙動を、手に取るように感じられていた。それが、じょじょに薄れていく。がきんちょの姿は見えるのに、自分の姿は見えなくなっていく。
そうして僕は、イチョウのさざなみに誘われながら、がきんちょに連れられて鰯雲の彼方、はるか彼方へ昇っていった。
04 ◇ 非日常的な屋上の俯瞰 ◇(この素晴らしい世界)楢﨑古都
04 ◇ 非日常的な屋上の俯瞰 ◇|楢﨑古都 @kujiranoutauuta #note #熟成下書き https://t.co/MnLPVqzi1d
— ✿すいすい✿ (@kujiranoutauuta) 2019年12月26日
学校は郊外の丘陵に建っていて、屋上からの景色もなかなかのものだった。
その瞬間のことは、いまでもよく覚えている。
体が風にさらわれるのを、僕は厭わなかった。片足を踏みだし、ほんの少し前方に重心を移す。あとは重力に任せればよかった。意識は、地面にたどり着く前に失った。
『ふ、ざけんなよっ』
僕は咄嗟に叫んでいた。と同時に、落ちたはずのユウが、まだ屋上のへりに立ち尽くしていた。
時間が、止まっていた。
『特別だからな』
がきんちょは中指を立て、舌打ちする。どうやら、これもがきんちょの仕業らしい。僕ら二人と、ユウ以外の人間たちの動きが、完全に静止していた。
「スグル?」
僕に気づいたユウの表情が、みるみる強張る。
「スグル……ごめん、ごめんなさい。……俺が、俺が悪かったんだ」
しゃくりあげながら、ユウはいきなり僕の腕にすがりついてきた。
『は、離れろよっ』
僕には、ユウの体温も、腕の力も、一切感じ取ることはできなかった。
『お前がいなくなれば、あいつらの罪悪感も少しはまともに働くようになるんじゃねえの』
言って、僕は思いきりユウの顔を睨みつけた。彼は僕の正視に堪えられず、すぐに目をそらした。でも、その先には動きを止めた同級生たちの歪んだ顔が並んでいる。
『僕は! 僕はいまでも、お前のことが大っ嫌いなんだよ! だから、死んでもこっち側へなんか来させない。お前に、楽なんかさせてやらない!』
がきんちょが、鼻先で僕を嘲笑った。
僕は、自分の発言が生きている者たちからしたら矛盾しているかもしれないことに気づきながらも、文句を止められなかった。
「スグル、ごめん……、本当にごめん……」
泣きすがるユウの姿を、僕はもうこれ以上見ていたくなかった。だから、その肩を突き飛ばそうとした。眼下へとじゃない、屋上へと押し戻そうとして。
でも、それは仕草にしかならなかった。僕の腕は彼をすり抜けて、すがりつかれていた腕も空を切った。文字通り、肩透かしを食らわされた。しかしその直後、ユウの体はふわりと宙に乗りだし、重力を捉えてしまっていた。
僕は、ユウを止められなかった。
『時間切れだ』
ふり返った僕に、ガキんちょはそっぽを向いて、素知らぬ態度でシラを切る。
『そんな、勝手な……!』
スローモーションで、ユウのからだが宙に浮遊する僕の胸をすり抜けていく。
「……ッあ」
ユウの息の漏れる音が、すぐそばで聞こえた。あわてふためく生徒たちの群れが、続けて僕らの体を通り抜け、地上を見下ろした。
03 ◇ 日常的な屋上の俯瞰 ◇(この素晴らしい世界)楢﨑古都
03 ◇ 日常的な屋上の俯瞰 ◇|楢﨑古都 @kujiranoutauuta #note #熟成下書き https://t.co/O3QiCn5qQh
— ✿すいすい✿ (@kujiranoutauuta) 2019年12月25日
ユウは散々小突かれ回されながら、屋上へ引っ立てられていった。
受験のない中高一貫校での毎日は、楽な分つまらない。それで、生徒たちは日々の学校生活を楽しくする為の遊びを思いついた。方法は簡単で、適当な標的を選び出し、貶める。たたそれだけだ。
「謝る気があるんだったら、もっと端へ行けよ」
同級生たちに急き立てられて、足をもつらせながらユウは歩かされている。まったく、奴は泣きじゃくるばっかりで、てんで面白味がない。僕はいつだって泣き叫び、許しを請うていたというのに。こんなだらしない奴に自分が虐げられていたのかと思うと、余計に腹が立ち、嫌気がさした。
『やっぱり、いけ好かねえな』
耳元で、がきんちょががわざとらしいため息をつく。
『黙って見てろよ』
僕は振り返りもせず、八つ当たりする。
「スグルはそこから一人で飛び降りたんだぜ。ほら、早く登れよ」
ユウは生徒たちの言いなりで、かけらも反抗しようとしない。屋上のフェンスを自ら乗り越えていき、促されるままへりに立つ。
『一度に二人も世話すんのは御免だぜ』
ふいに、がきんちょがぼやいた。
あいつも自殺する? まさか、そんなのは絶対に許さない。ユウには一生そっち側で見下されつづけてもらわなければ、僕の気持ちが収まらない。
『なんだ、あいつが落ちれば、お前は昇るのか』
がきんちょは僕の心の中まで読めるらしい。それまで、ぐうたらと寝そべった格好で浮かんでいたというのに、勢いよく起き上がると、眼下のユウを骨ばったそれで指差した。
『じゃあ、落とすか』
上目遣いで、不敵な笑みを浮かべて。
『え?』
生徒たちのユウへの煽りが、にわかに高くなった。落ちろ落ちろ、と連呼され手が叩かれる。がきんちょが自慢げに僕の方をふり返った。すると、ユウの視線がおもむろに下方へと流れた。
今週のお題「2020年の抱負」
平日まいにち、過去作UPするよ✒︎
02 ◇ 日常的な教室の俯瞰 ◇(この素晴らしい世界)楢﨑古都
02 ◇ 日常的な教室の俯瞰 ◇|楢﨑古都 @kujiranoutauuta #note https://t.co/91ylln92MR
— ✿すいすい✿ (@kujiranoutauuta) 2019年12月24日
僕はその光景の一部始終を、天井付近にうらうらと漂いながら見下ろしていた。
『お前、相当性格悪いな。自分いじめてたやつがいじめられるとこ見て、面白いのかよ』
『ふん、いい気味じゃないか』
僕の体は蛍光灯の無機質な明かりを透きとおしている。隣で一緒に浮いている、小学生くらいの背格好しかないがきんちょも同じだ。僕らは、生きている人間の目には映らない。
『お前をいじめてたのは、こいつら全員だろ。なんで、あいつだけ名指ししたんだよ』
がきんちょは、めずらしく僕個人に興味を示した。こいつは、基本的に人間世界のことなんか気にかけないのだ。ぐうたら野郎め。ちらと僕の方へ視線を投げたかと思うと、次の瞬間には日差しの中で大あくびをしている。
『あいつ、僕に言ったんだ。お前なんか、いてもいなくても同じなんだよって』
僕はいささか、突っ掛かり気味に答えた。
『くだらねぇ。まさか、本気でそれだけの理由かよ』
くだらなくとも、それだけの理由だ。
僕は数週間前の月曜日、青い便箋に自分がいじめぬかれてきた日々の苦悩を書き綴り、学校の屋上から飛び降りた。便箋にはユウの名前だけを敢えて記した。僕は、あいつが誰より一番嫌いだったのだ。
もともと、僕の机の上にあった菊の花瓶、あれを学校へ持ってきたのはユウだった。お葬式ごっこを始めるきっかけをつくったのもユウだった。一人では何もできないくせに、いつも誰かの後ろに隠れて、影から僕の自尊心を汚しつづけた。僕は、誰よりユウのことが許せなかった。
『あいつも、俺と同じ目にあえばいいんだ』
がきんちょは、つまらなそうに空中をくるんぐるん回っている。
『なあ、お前。面倒くさいから、とっとと成仏してくれよ。俺様はお前らなんかに興味はないんだよ』
先に聞いてきたのはそっちじゃないか、と思わず言い返したくなるのをぐっと抑えた。
がきんちょの霧のような体が日差しをすり抜けると、見下ろす教室にごく薄い影が揺らいだ。でも、人間たちはそれを、太陽の下を雲が翳ったくらいにしか思わない。
がきんちょはあからさまに僕の目の前を横切ると、喉の奥まで見えそうな大あくびを、また一つしてみせた。
今週のお題「2020年の抱負」
平日まいにち、過去作UPするよ✒︎