かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

くじらの歌う唄-05(5・終)楢﨑古都

 財布だけ持って、テレビを消し忘れた部屋を後にする。マンション中にわたしたちの声を響かせてやりたくて、迷惑もはばからずおしゃべりし続けた。すきっ腹を抱えて笑うと、よけいにお腹が減り、それがまた可笑しくて仕方がなかった。
 手をつないで、閑散としたホテル街を走り抜けた。帰宅途中のホストを追い越し、そのくたびれたスーツと痛んだ茶髪を見て笑った。片方の足がほつれると、もう片方の足ももつれて、二人同時に前のめりになり、転びそうになった。
「祥子ちゃん、近道しよか」
 遮断機の上がった踏み切りを前にして、京子が立ち止まった。もう少し先まで行けば、地下道を抜けていくこともできる。立ち止まったのは、わたしの意思でもあった。
「はじめのいーっぽ。だるまさんがころんだ」
 甲高い、舌足らずな声が響く。線路沿いに、園庭のないビルの二階を借りた個人経営の認可保育園があった。わたしは思わず息をのむ。ここへ戻ってくるのは、はたして何か月ぶりだろう。白いシーツが、遮断機の先に見える気がした。
 子どもたちのはしゃぎ声は、ここで人身事故があったことなんて微塵も思い寄らせない。わたしは京子の手をにぎり返した。
「だるまさんがころんだ」
 踏み切りは、助走をつけてちょうど大股十一歩分だった。渡り終えたところで、母親に手をひかれた園児と目があう。わたしたちの遊びにいますぐにでも加わりたいと言わんばかりに、半ズボンの足が地面を蹴り、飛び跳ねている。水色のスモッグに黄色い帽子。再びわたしたちが駆けだすと、肩から斜めにかけた通園カバンが大きく手をふり、見送ってくれた。
 鳴りだした踏み切りのサイレンに、京子の歓声が乗った。背後に遠ざかっていく過去が、引き続きのいまとこれからにつながっていく。かたく手をつなぎ、わたしたちは喉の鎖が切れるまで全速力で走り続けた。
 瞬きの合間に、クジラが潮を吹く。
 お腹の底から笑い声を沸かせて、わたしたちはまっしぐらに海を目指した。

2005年11月 3日
原稿用紙:55枚
「江古田文人会・第九号」掲載
「第23回日大文芸賞・優秀賞」受賞作

お題「#おうち時間

 

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「くじらの歌う唄/メルヒェン」

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