かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

01 ◇ 教室と花瓶の菊 ◇ (この素晴らしい世界)楢﨑古都

 

 

 白い菊の花びらが窓際の机の上に散っている。午後の日差しを受けて、水垢の目立つ花瓶は小さなプリズムをつくっていた。
 以前と変わらない、3年A組の日常風景。かかとを踏まれた上履きが、教室後ろの掃除ロッカーをくり返し蹴りつけている。そのたび、周囲で囃したてる声はいっそう沸きたつ。
 やがて、ロッカーから一人の生徒が引きずりだされた。紺色の制服は埃で白く汚れ、ブレザーの袖口やズボンの裾はほころび、傷んでいる。立ち上がろうとすると、必ず誰かの足が彼を床へと押しもどした。
「お前さあ、責任とってもらわないと困るんだよ。スグルはお前のせいで死んだんだから」
 彼は胸元を掴まれて、泣きべそをかいた顔を覗き込まれる。
「せっかく花まで生けてやってんのに、いまさらなにしに学校来てんだよ」
 そして顔を、窓際の机の方へ無理やり向けさせられる。
「スグルをいちばんいじめてたのはお前だよな? そうだよな。だったら、とっとと責任とれよ」
 見て見ぬふりする女生徒たちの、目と目で交わされるくすくす笑いが絶え間なくさんざめく。彼女たちは、安全な室内から暴風雨を観賞する傍観者然として、一定の距離を保ちつづけている。
「なあ、ユウ。もうこの教室にお前の居場所なんかないんだよ。帰れ、ってか失せろや」
 彼を取り囲んでいた男子生徒たちは、そばにいた他の生徒に窓際の席から花瓶を持ってこさせた。
「ほら、これもってさ。いますぐスグルのところへ謝りにいけよ」
 彼らは白い歯を覗かせるにやけた表情で、腐った花瓶の水を菊の花ともどもユウの頭上へぶっかけた。途端、弾けたような女生徒たちの笑い声が、教室を抜け、廊下にまで響きわたった。

 

今週のお題「2020年の抱負」

平日まいにち、過去作UPするよ✒︎

 

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ナイフ(新潮文庫)

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  • 作者:重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/01/03
  • メディア: Kindle
 
ナイフ (新潮文庫)

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  • 作者:重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/06/28
  • メディア: 文庫
 

壮大すぎる、そんな初夢をみた。

 

今週のお題「2020年の抱負」

 週末は1冊以上の本を読む。

 ときどき、今日みたいな過去作以外のブログも更新再開する。

 

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決定版 夢占いキーワード事典

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「ひそやかな相愛-03(終)」楢﨑古都

 

「どうぞ。」
 どうせなら、一緒にミルクもねだっておくべきだったかしらん。
「食べないの?」
 食べさせて、くれないんですか?
 じっと淳之介顔を見つめ、小首を傾げる。
「やっぱり拗ねてるな。いっそお前も一緒に、お婿さんでももらうかい」
 なんてこと! そんなもの、いりません。
 淳之介は半分に割ったクッキーをつまんで、私の鼻先に差しだした。ゆっくり口を開け、くわえる。彼の指先を噛んでしまわないように、慎重に。
「おいしいかい?」
 はぐはぐと少し大きなかけらを口の中で持てあましながら、わたしはそれを砕いていく。
「でも、おまえもそろそろお年頃か。」
 だから、いらないって言ってるじゃないですか。そんなことより、はやくはやく、もう一枚くださいな。
 差しだされた二枚目を、わたしはさっきよりもくはやく口にくわえ、指先から奪う。
「いらないか。」
 膝の上で頬杖をついて、わたしを見下ろしながら淳之介は言った。
「おまえ、俺に惚れてるもんなあ」
 あら、逆じゃないんですか?
 私は上目遣いで答える。
「逆かな。」
 ええ、そうですとも。
「彼女もそう言うんだよ。」
 もうっ。
 わたしは三枚目のをクッキーをお皿から自分でくわえて、ぱらぱらと食べかすをフローリングの床にこぼしながら、いっきに平らげた。
「でもね、おまえの首筋は彼女にだって敵わない」
 くしゅんっ。
 淳之介は少しばかりひげの伸びたあご先を寄せて、わたしの毛を自分の頬にあてがう。
 わたしのいないところで、いったいさなえさんにはどんな恥ずかしい言葉を言っているのやら。こういうのが、よく昼間の連続ドラマなんかでやっている、女の嫉妬に発展していくのかしらん。でもそうしたら最後には、淳之介はわたしたち二人ともから捨てられてしまうかもしれないわね。思わず、くしゃみしちゃったわ。
 わたしはソファーに上がり、クッションを枕に頭をもたせかける。
 淳之介はお皿とクッキーの缶を片付けると、再び読みかけの小説を手にし、わたしの隣へ腰かけページを開いた。姿勢正しく読みすすめているのは最初だけで、だんだん体勢が崩れて寝そべっていく。わたしはそんな淳之介のふところで、まどろみを共有するのがしあわせなのだけれど。
 さなえさんが来たら、お散歩に連れていってもらおう。そして、途中のレンタルショップで甘々の恋愛映画を借りてきて、淳之介と三人で観よう。
 あくびが、とろんと鼻の頭を包み込む。
 わたしの恋心を淳之介がわかっていてくれるなら、ほかには何にもいらないわ。
 背中をなでる淳之介の手のひらが、落ちてゆくまぶたを誘って、ぬくもりをたたえた。

 

今週のお題「2020年の抱負」

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ひそやかな初夏の夜の (ライムブックス)

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「ひそやかな相愛-02」楢﨑古都

 

「今晩は彼女が来てくれるよ」
 さなえさんは淳之介の婚約者だ。たまに、わたしたちの部屋へも遊びに来て、一緒に料理をしたり、映画を観たりして過ごす。
 じゃあ今日は、さなえさんがいらっしゃるまで、お散歩もおあずけということですね。
 わたしは膝の上で、ふんと息を吹き、首を伸ばしてそっぽを向いた。拗ねてみせても、大抵は気づいてもらえないのだけれど。
 さなえさんは線の細い人なのだけれど、なかなかアクティブな女性で、いつも片道数kmの道のりを、自転車をこいでやってくる。俗にいうママチャリではなくて、全体的にゴツゴツとした、スピードの出る自転車だ。さなえさんはどこへ行くにもあの深緑色の自転車に乗って、走っていく。ふくらはぎや二の腕に走る稜線には、思わずこのわたしも見惚れてしまうものがある。
 淳之介とはまったく別の、真逆の女性だわ、とわたしは思う。
 部屋で仕事をしている淳之介をよそに、さなえさんはわたしをよく外へ連れだしてくれる。ジョギングにつきあうこともあれば、自転車に並走することもある。淳之介には内緒で、お団子や大判焼きを食べたりして、わたしはさなえさんとの交友を徐々に深めている。
 来年の春には、ここで一緒に暮らすことになるらしい。よい関係を築いていくために、いまはお互いの立場を尊重しつつ、少しばかり窺いながら、たまの時間を過ごしている、といったところだ。
 淳之介は、女同士のせめぎあいには、殊に無頓着だ。
 飄々として、
「いつのまに、そんなに仲良しになったの」
 なんて、口にしたりする。
 すると、さなえさんは私のことを抱きあげて、
「あら、もうずっと前からよ。ねえ?」
 とこちらを覗き込む。
 わたしはそれに答えて、短い足の肉球で、彼女の腕をぽんと叩くのだ。
 先月の誕生日、淳之介とさなえさんの二人から、わたしは新しいお皿をもらった。ステンレス製で、カフェオレボウルを大きくしたみたいな、把手つきのそれだった。
 少しばかり、小腹が空きませんか?
 わたしは寸胴のお腹を寝そべらせて、淳之介のくちびるを舐めた。
 このお皿に、クッキーでも入れてくれないかしらん。
 もうひと舐め、わたしは淳之介に甘える。
 淳之介はわざとくちびるを尖らせてみせて、こちらをからかう。とんとん、と子どものこぶし大ほどもある前足で肩を蹴ると、淳之介はようやく答えてくれた。
「わかった、わかった。おまえ、さなえが来るって聞いて、拗ねてるな」
 一旦、腕から降ろされて、私は淳之介がクッキーの入っている缶と把手つきのお皿を持ってきてくれるのを待つ。
「三枚だけだよ。」
 かまいませんとも。
 缶の蓋を開け、淳之介はお皿にクッキーを置く。鼻先をくすぐる香ばしい匂い。わたしは床へ飛び降りると、行儀正しく前足を揃えた。お皿はいつも、こうしておやつ用の受け皿として使っている。

 

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つめたいよるに (新潮文庫)

つめたいよるに (新潮文庫)

  • 作者:江國 香織
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1996/05/29
  • メディア: 文庫
 

「ひそやかな相愛-01」楢﨑古都

 

 傍らで、淳之介が寝そべっている。
 銀色の細いフレーム。横顔に一筋の硬質をもたらし、手元を見据える眼差しに引き金をかけているもの。すべらかな肌をしている人だ。華奢な金属は、それゆえに寂と落ちついている。
 わたしは彼のふところで、ふんと鼻を鳴らしてみせる。脇腹に頭をもたせかけ、両足を抱える。ソファーの沈みに身をまかせると、ぬくもりにまどろみが呼び起こされるようだ。
 淳之介はページをめくる手をとめて、こちらを見やった。
「起きたのかい。」
 ふちなしのレンズに守られた先にある瞳。わたしはそれを見つめ返し、まばたきでこたえる。すると、彼の手がわたしの頭をなでた。
 それから、淳之介はわたしの首筋に左手を置いて、再び文脈に視線を落とす。短く切りそろえられた爪が並ぶ指先は、たまにあごの下もくすぐってくれる。
 心地いいですね。
 淳之介は片手で器用にページをめくる。かすかな紙の擦れる音と、空気をはらむ造作のくり返し。
 日差しの低くなりはじめた季節は、レースのカーテンを不規則に揺らし、膨らました。
 くしゅっ。
 淳之介は驚いたように顔を上げ、わたしを見下ろして苦笑する。
「少し、寒かったね。」
 淳之介が立ち上がるのについて、わたしもソファーを飛び降りる。
「あ。」
 空を見上げて、淳之介は窓を閉めるどころか、ベランダへ出ていく。
「ほら。見てごらん、飛行船だ。」
 ついてきたわたしをふり返って抱き上げると、薄い雲のたなびく空を指差した。
 まあ。
 楕円の風船が空をすべっていく。
「めずらしいな。見たことなかっただろう」
 わたしは淳之介を見上げて、あれはなんですか? とたずねる。
「あんなのに乗って、空中散歩なんてできたら、きっと素敵だろうな」
 風船に乗って、空を飛ぶの?
「なにか、イベントでもあったのかもしれないね。彼女にも見せてあげたかったな」
 わたしはもう一度、くしゃみをした。
「ごめん、風邪でもひいたかい」
 淳之介はまた笑って、窓を閉めると、レースのカーテンを引いた。
 彼女。さなえさんのことを、彼はわたしの前では必ずそう呼ぶ。
 淳之介は、女心をくすぐるのがとっても上手よね。
 さなえさんと初めて会ったとき、彼女はわたしにそう言った。
 ソファーに腰かけると、淳之介は文庫本にしおりをはさみ直し、自分の膝へ乗るようにわたしをうながす。あるかなきかの、ちびくさい真っ白なしっぽをぷんぷん振って、腹ばいに身をまかせる。

 

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「琴子ちゃんの風景-07(終)」楢﨑古都

 

「ーーーあ。」
 瞬間、目の前にふっとある風景が見えた気がした。
「どうしたの、琴子ちゃん」
 パパの声が、頭のうえのほうから降ってくる。けれどもわたしは、その風景から凝らした目を離す古都ができない。いや、話したくない、と思った。
 パパとママと、それから知らない男の人がいた。後ろには、見覚えのある建物。あれは、確かパパの通っていた大学だ。
 パパとママは、今よりちょっと若く見えた。
 知らない男の人だけ、こちらをじっと見ていた。
 わたしに、笑いかけてくれた?
 つむじ風が吹いて目をつむると、まばたきの次に現れたのは、この部屋の光景だった。だけど、「いま」のじゃない。
 わたしが座っているソファのすぐ前の床で、小さな男の子が、パパとママと一緒に積み木遊びをしている。
 男の子は、わたしを見上げて赤い三角の積み木を差しだした。まるで、いちばんてっぺんにこれをそれを乗せる栄誉は、お姉ちゃんにあげる、とでもいった風に。
 この子はーー。
「琴子ちゃん。」
 方を揺さぶられて、わたしははっと我に返った。右手が、梅雨に浮いていた。
「目、覚めた?」
「え?」
 パパは、ものすごく心配した、という顔つきで、放心しているわたしの顔を覗き込んだ。
「あ、ちょっと待って。」
わたしはまだはっきりしない頭で、たった今見たばかりの情景を、あわてて思いだしにかかった。一秒でも早く脳みそに焼きつけてしまわないければ、きっと夢みたいにどんどん消えていってしまう、そう思った。
 パパがいて、ママがいて、それからーー。
 ああ、今見えた気がする。
 昔、わたしがこの世に生まれてくる以前の風景。それから、これから間違いなくつくられてゆくだろう、わたしたちの風景。
 風景は人と人とがつながりあって、そうしてみんなで大切に守って行くんだ。日々、新たに生まれてくるつながりを加えて。
 抱かれた腕のぬくもりを心の底から切なく、暖かく感じながら、私はパパの顔をあおぎ見た。きょとんとした表情で、だけれども優しさにあふれたまなざしで、パパはわたしのことを見下ろしていた。
「パパ。」
 声帯が勝手にふるえていた。
「また、考えごとしちゃってた?」
「うん。」
「今日のは、いつものよりずっとむつか しかったんだね」
 ああ、パパがいてくれて、ほんとうによかった。心底そう思った。
 ママが話してくれたもう一人の人のはなしを、わたしは知っておく必要があったんだと気づいた。
 それはその人が、ママと、ママのお腹の中にいたわたしの命を助けてくれたから、というだけの理由ではなく、もっともっと深いところで、わたしたち家族がこれから先もつながってゆくために。だから、ママは話したんだ。
 わずかな偶然と、それに伴う運命的なめぐりあわせによって生まれた、様々なできごと、想い。しあわせも悲しみも、季節の変化も、惜別の間もなくおとずれた別れの瞬間も、すべてが必要だった。
 ひとつひとつのことごも、そのどれもがあったからこそ、みんな、「いま」につながっている。
 この瞬間にも、目に見えないたくさんのものたちが、わたしたちを取り巻き、つきつ離れつして、やがて確かに「ここ 」へとつながってゆく。パパの左腕も、ママとわたしを助けたあの人の存在も。
 悲しいけれど、それらはやはり、この風景に必要だった。
  わたしたちは奇跡的とも思える未知的偶然にみちびかれて、いまここにいる。パパも、ママも、わたしも。そして、お腹の中の赤ちゃんも。
 わたしは寝ぼけた頭の片隅で確かになにかを悟りながら、あいも変わらずパパのことを見つめていた。
 そうしたら、ふいにあることを思いだした。
 ママが言っていた、わたしのタイミング。
 こくん、とつばを飲み込んで、わたしはパパの膝の上で姿勢を正した。
「あのね、パパーー。」

 

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うたかた/サンクチュアリ (新潮文庫)

うたかた/サンクチュアリ (新潮文庫)

  • 作者:吉本 ばなな
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2002/09/30
  • メディア: 文庫
 

「琴子ちゃんの風景-06」楢﨑古都

 

 ママはわたしの頭をなでて、
「ここからが、パパにはまだ秘密のはなし。」
 潤んだ瞳で、けれどもやわらかな表情でママは言った。両手を内緒話のかたちにくぼませて、それをわたしの耳にあてがった。
「ママのお腹の中にね、赤ちゃんがいるの。」
 一瞬、また何のことだかわからなかった。しかしわたしが、
「赤ちゃん!」
 と、その響きにただただびっくりして言葉を失っているあいだに、ママは重ねて耳打ちしてきた。
「たぶん、男の子だと思うわ。ママにはわかるの。それでね、ママ、実はこの子にあの人の名前をつけてあげたいなって思っているの。びっくりなことに赤ちゃんの生まれてくる日は、あの人が亡くなったのとおなじ日なのよ。これはもう、運命としか言いようがないんじゃないかって思うのよ。」
 さらにさらに驚いてしまって、私は鳩が豆鉄砲を食らったときみたいな顔で、あんぐり口が開いてしまっていたと思う。ママの顔を見つめて、つめ込まれすぎた情報と向きあうのに、しばらくかかってしまった。
 ポカンとしているわたしを前に、ママは赤い目をしながらも、とてもうれしそうに微笑んでいた。そして、そっとわたしの手をとると、あたたかなお腹の上へとはこんだ。
 信じられない。いつもと何ら変わりなく見えるのに、間違いなくいまこの瞬間、ママのお腹の中には赤ちゃんがいる。わたしの弟になるという、男の子の赤ちゃんが。
「信じられない。」
 しかもその赤ちゃんは、ママとわたしの命を救ってくれた、あの人の生まれ変わりかもしれないなんて!
「すごい。」
 ほんとうにすごい。信じられない。
「すごい! すごい、すごい、すごい! すごいよ、ママ!」
 わたしは気持ちが抑えきれなくなってしまって、よろこび舞い上がってしまった。ママは、まさかわたしがここまではしゃぎ回るとは予想だにしていなかったみたいで、照れくさそうにほのかに頬の色を染めた。
「ママ、きっとパパも、その人の名前を赤ちゃんにつけてあげたいって思うよ。絶対、気に入ってくれると思う。絶対、絶対にその名前にしよう。ねえ、ママ教えて! この子の名前、なんていうの?」
 せがむわたしに、ママはまるで少女漫画に出てくる女の子みたいに、うふふふっと完璧な笑みをたたえて見せた。
「お名前はね、」
 ママの口から漏れる吐息が、わたしの耳元に、くふふふふ、とふきかかって、とてもこそばゆかった。
「すてきな名前でしょう。」
「うん、とっても。」
 感極まって、わたしはこれでもかってくらい目をまんまるく、きらきらさせていたと思う。
 ほんとうにすてきだと思った。ママを助けてくれた男の人の名前も、ママのお腹の中にいる赤ちゃんの存在も、それをとても幸せそうに打ち明けてくれたママも。みんなみんな、ほんとうにとてもすてきだと思った。
「琴子っちゃん。それでね、ちょっとここでお願いがあるの。」
「おねがい? なあに?」
 この期に及んで、いったいなにがあるというのだろう。
「あのね、このことを琴子ちゃんからパパに伝えてもらいたいの。琴子ちゃんのタイミングで構わないから。」
「パパに、ママからじゃなくって、琴子が?」
「そう。」
「どうして? どうしてママから伝えないの? 赤ちゃんはママのお腹の中にいるのよ。琴子から教えちゃって、ほんとうにいいの?」
「さっき琴子ちゃんは、きっとパパもあの人の名前をつけることに賛成してくれるって言ってくれたけれど、でもやっぱり、パパはそれだけは絶対に嫌だって思うかもしれないし……」
「そんなこと、絶対にないと思うけどな。パパもきっと、大賛成してくれると思うよ」
「うん、そうね、ママもそう思う。だけど、だけどやぱり、琴子ちゃんからパパには伝えてもらえないかしら。」
「それは、もしかしたらパパが、悲しむかもしれないってこと?」
 ママはまた、子どもみたいに真剣な眼差しで、こっくりうなづいた。
「わかった。うん、パパには琴子からしっかり伝える。ママのお腹の中にいる赤ちゃんのこと、その赤ちゃんはきっと男の子で、名前ももう決めていること。そしてそれは、ママと琴子を助けてくれた、あの人の名前だってこと。」
 ママは、心底ほっとしたような表情をして見せた。
「ありがとう、琴子ちゃん。宜しくお願いします。」
 そう言って頭を下げたママは、顔を上げると、もう満面を笑みを浮かべていた。そんなママの無邪気さと対峙した途端、わたしまで気恥ずかしくなり、つられて照れ笑いしてしまった。

 

お題「今日の出来事」

 

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ナイショの話

ナイショの話

  • アーティスト:ClariS
  • 出版社/メーカー: Sony Music Labels Inc.
  • 発売日: 2015/04/15
  • メディア: MP3 ダウンロード