05 ◇ 缶ペンケースと鰯雲 ◇ (終)(この素晴らしい世界)楢﨑古都
05 ◇ 缶ペンケースと鰯雲 ◇ (終)|楢﨑古都 @kujiranoutauuta #note #熟成下書き https://t.co/jK59dtmSMr
— ✿すいすい✿ (@kujiranoutauuta) 2019年12月27日
教室の窓際の席からは、真下にイチョウの木とツツジの植え込みが見える。
ユウは一人机に向かって、次の授業の予習をしているようだ。その左腕はギプスで固定され、彼の怪我がまだ完治していないことを周囲に見せつけている。彼は、僕と同じように屋上から飛び降りた。ただし、イチョウの木がクッションとなって、一命を取りとめたのだった。
『お前、ほんとひねくれてんな』
頭の後ろに両腕を回した格好で、がきんちょは僕をおちょくった。
僕はあの瞬間、ユウを助けようとしたのだった。
『ここでは、個人なんてないのと同じなんだよ。集団に染まることに意味がある。はじかれたら、それに従わなくっちゃならないんだよ』
『ふん、関係ないだろ。お前は死んだ、あいつは助かった。ただ、それだけのことだ』
奇跡的に軽症で助かったユウへのいじめは、自然となくなった。飛び降りという偉業を成し遂げた彼の存在は、生徒たちに畏怖を持って迎えられ、ひそかに英雄へと仕立て上げられた。もう誰も、ユウには手を出しできない。
そしてユウも、この教室の中で傍観という集団にまみれる術を覚えた。もう人の後ろに隠れて、腕をつねるなんて面倒臭い真似もしない。
『考えてみると、必死に抵抗していた僕って、ひどく格好悪かったのかもな。ユウの方が、ずっと頭がよかったのか』
成仏できなかった僕の、この世への心残りはユウだと思っていた。彼への復讐こそ、僕の成仏には必要不可欠だと思っていた。だから僕は、がきんちょと共にこの教室を、毎日毎日観察し続けた。
けれど、もうユウへの復讐心なんて僕の心の中には残っていなかった。
『なんか、飽きちゃったな。僕は、ここに残って、何がしたかったんだろう』
相変わらず成仏できない僕は、なんて未練がましいのだろう。
『ふん。お前はこの教室の、いじめの連鎖を止めるきっかけくらいはつくったのかもしれないぜ』
ふいに、がきんちょは僕を小突いて、前を向かせた。
『まあ、見てろよ』
ユウが、ノートから顔を上げた。視線が前方を見つめる。ああ、また新しい菊の花束が生けられるのだ。誰からともなく、嵐の前の静けさを予感させるしのび笑いが聞こえ始める。花瓶は、帰りのHRを待つ教卓の上に供えられた。
僕はがきんちょと一緒に、生徒たちの一挙手一投足を見つめていた。
瞬間、缶ペンケースが勢いよく黒板に投げつけられた。激しい衝撃音とともに、中身が飛び散る。僕は驚いて、その軌跡の元をたどった。
『お前ら、いい加減にしろよ!』
視線の先で、ユウの怒声が教室内に響きわたる。缶ペンケースを投げた右腕が、まだ彼の頭の横でわなないていた。生徒たちの視線が、いっぺんにユウへと注がれた。
『そろそろ、逝こうか』
僕は、隣でこちらを伺っているがきんちょに言った。言葉にしたのは、自分でそれを自覚するためで、僕の体はすでに光に溶けはじめていた。
教室の中の挙動を、手に取るように感じられていた。それが、じょじょに薄れていく。がきんちょの姿は見えるのに、自分の姿は見えなくなっていく。
そうして僕は、イチョウのさざなみに誘われながら、がきんちょに連れられて鰯雲の彼方、はるか彼方へ昇っていった。