かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

「朝行く月-07(1)」楢﨑古都

 

  ひとつずつラップにくるんで、手提げかばんにしまう。海苔は半分の長方形にして、ビニールのジッパーをとじる。忘れないよう、教材の入ったリュックサックの隣に置いた。
 空っぽの胃の催促にしたがって、朝食の支度をする。教わったキャベツの味噌汁と、納豆を釜の残りに添えた。
 この三か月で、私の食生活はずいぶん変わった。野菜からはいいお出汁が取れると、キャベツだけでなくにんじんやじゃがいいもを茹でた後のスープで、もう一品作る芸当も覚えた。卵焼きはまだまだ見栄えが悪いけれども、やろうと思えば気の利いたお弁当くらい持っていけるつもりだ。
 でも、ノートをとる以外に私にできることといったら少なかった。食堂で、水曜三限の彼女がお弁当を広げているところを見かけ、それが彼女の手作りか否かで延々語られた日には、もう手も足も出なかった。
 懐炉代わりの手提げを抱きすくめ、ほのかに立ち昇る香気を鼻いっぱいに吸い込む。寒さに強ばった顔が和らぐ。毛糸の帽子からはみ出た耳たぶにあたる風は冷たいが、腕の中のつながりは触覚のみならず温かかった。
 今日は彼に会えるだろうか。
「佳世子ちゃん」
 駅を過ぎ、商店街まで来たところで道の反対側から呼びとめられた。
「おはよう」
 私と彼とを引き合わせた友人が、手を振りこちらへ駆け寄ってくる。
「おはよう」
 私の胸元に視線を落とし、苦笑いを浮かべる。
「児島のやつ、来てなかったよ」
 手提げの中身が彼の朝食であることは、もはや周囲の誰もが知っていることだった。
「一限じゃ無理でしょ、昼頃には出てくるんじゃないの」
「最近見かけないけど、大丈夫なのか」
 単位なら問題ない。危ないのは、私の方だ。
 今週に入って、まだ一度も彼に会えていなかった。水曜日の昨日でさえ、彼は姿を現さなかったのだ。
「どうせ寝てるんでしょ、あの馬鹿」
 来なければ来ないで代返を頼んでくる彼が、いくら連絡をとってみても実はつながらなかった。
「言えてる。マイペースだからなあ、児島は」
 私は、授業に出てこない彼を心配して、不安がるような女じゃない。むしろ、会えないという状況に腹立たしさがつのってくる。今晩も、私は残ったおにぎりを夕食にするのだろうか。
 困ったやつだね、眉を下げた友人の顔がそう言っていた。
「じゃあ、俺バイトだから」
「うん、また明日」
 わたしはにっこり笑ってみせてから、友人に背を向けた。抱えていた手提げを片手に持ちかえる。歩調に合わせ、前後に揺らしながら歩いた。

 

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「朝行く月/水に咲く花」

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