かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

「朝行く月-04(2)」楢﨑古都

 

 やがて彼は席を立ち、炊飯器のスイッチをセットして、夕食の準備に取りかかった。
 冷蔵庫から取り出したにんじんと、白菜とハムをたん族切りにし、熱したフライパンに油をひいた。手際よく順に炒めてゆき、塩こしょうをふって醤油と酒をざっと回しいれる。火を止める直前に水溶き片栗粉を加えてとろみを出し、仕上げに風味付けのごま油を垂らした。キャベツはきしめんくらいの細切りにされ、豆腐と一緒に味噌汁の具になった。
 今日まで千切りしか知らなかった、ともらしたら笑われてしまった。
 炊き上がった白米を彼はどんぶりによそい、上から炒め野菜の餡かけを盛った。ソースも醤油も付け足す必要のない、中華丼ができあがっていた。
 ノートを貸してもらったお礼だから、とわたしは一切手伝わせてもらえなかったが、恥をさらさずに済んで、むしろほっとした。
「毎晩自炊してるの」
 どんぶりの底まで、旨味の凝縮した餡が浸み込んでいた。噛みしめながら、大切に胃に送った。
「まあ、安上がりだしな」
 さらりと言ってのけられた。閉店間際のスーパーマーケットで、見切り品を物色しているわたしとは大違いだ。
「ノート貸しただけで、こんなごちそうにありつけるなんて、思いもしなかった」
「肉入ってなくてごめん」
「とんでもない。後期もノート貸してあげるから、安心して」
「マジで、そしたらまた作らせていただきます」
 遠慮せずどんどん食って。
 お椀持った手を掲げて、あごでうながされた。
うまいっしょ
 得意顔の彼を前に、わたしはどんぶりをかき込んだ。

 

今週のお題「卒業」

 

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「朝行く月/水に咲く花」

「朝行く月/水に咲く花」

 

「朝行く月-04(1)」楢﨑古都

 

  部屋は想像に反して整頓されていた。ソファベッドに投げてあったトレーナーをたたむ様には手慣れたものがあったし、後について覗いた台所には、マグカップを鉢植えカバーにした観葉植物が鎮座していた。彼は冷蔵庫の中身を確認すると頭から無地のエプロンを被り、計量カップで米を三合掬った。ステンレス製のボウルの曲線を、粒が弾けながらすべった。
 シンクに移して蛇口をひねると、最初のとぎ水はすぐに取り換えた。米に糠水を吸わせてしまうと、おいしく炊なくなるのだという。そもそも米のとぎ方さえわかっていなかったわたしは、手を回しいれる具合やら添えられる手首の角度などに、逐一見入ってしまった。すすいだ水を捨てるのに彼が腰をかがめたとき、後ろ姿にTシャツの布じわとは別に背筋のラインが走った。触れようとして、慌てて身を引いた。彼はとぎ終えた米を釜に移すと、水を張り、脇へ寄せた。
「炊かないの」
 炊飯器を指差し、わたしは台拭き代わりのタオルの上に置かれたボウルに視線を投げた。
「しばらく置いてから炊くんだよ。家でやってなかった?」
 冷蔵庫から麦茶の入ったプラスチックポットを取り出し、水切りにあったコップに注いだ。
「うちの母親、料理しないから。食事ってほとんど、出来合いかお弁当だったのよね」
「それで、あんなにじろじろ見てたんだな」
 彼が口をつけるのを待って、わたしも喉を鳴らした。
「糠を落としてからきれいな水を吸わせてやるとね、おいしく炊けるんだって。母ちゃんの受け売りだけどな。夏場は四〇分くらい、さらしておくんだ」
 テーブルについて、もう一口麦茶をふくんだ。
「冬はどのくらい?」
「一時間くらいだな」
「そんなに、母さんが面倒くさがるわけだわ」
「お母さん、何か仕事とかしてるの」
「美容師なの、実家が店舗でね」
「へえ、立花さんの髪もお母さんが切ってるの」
「まさか、小学校までよ」
 わたしの髪は、彼よりも短いベリーショートだ。
「ははは、俺も小学生の頃は母ちゃんに切られてたな。坊主にされるのが嫌で、毎回必死で抵抗してたもん」
 彼は扇風機のスイッチを入れ、袖でこめかみの汗を拭った。試験が終わった解放感からなのか、いままでろくに話したこともなかったのに、わたしたちの会話は際限なくつづいた。小中高と出身校についてや家族のこと、共通の友人たちに関する噂話、話題は途切れなかった。

 

今週のお題「卒業」

 

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「朝行く月/水に咲く花」

「朝行く月/水に咲く花」

 

「朝行く月-03(2)」楢﨑古都

 

 第一印象は、他人まかせのぐうたらにしか見えなかった。
 相変わらず授業には出てこないし、取ってもいない科目の代返まで頼まれる。それでも、わたしが彼との付き合いをやめずにいるのは、人は見かけによらない、なんて言葉があるからだろうか。
 数日後、校内ですれ違ったとき、彼は下を向いてウォークマンを聞いていた。わたしはあいさつも交わされないまま素通りされ、とにかく人見知りするのだと聞かされるまでは、なんて無愛想でその場限りの人なのだろう、と腹を立てたほどだった。
 だから、試験最終日に彼の方から話しかけてきたときには、虫がよすぎるではないかと気に障り、わざとぞんざいな態度をとった。
「立花さん、今日このあと時間ある」
「なんか用」
「ノート貸してもらったお礼でもしようかと」
「そんなのいいよ」
 急いでいるふりをして、脇をすり抜けた。
「ちょっと待って、なんか怒ってる」
「別に」
 引きとめられふり返ると、帰り支度を済ませた学生たちをよそに、彼一人が残され立たされている生徒みたいに頼りなく見えた。
 それで、思わず声をかけてしまった。
「ご飯でもおごってくれるの」
 こちらが先に折れた。向き直って、一度肩にかけたかばんを机に置く。
「それええな」
「ちょっと、なにも考えてなかったの」
 眉間をしかめると、そんなことない、と並びのいい歯を見せた。笑ったところを、はじめて見た。
「うち来なよ」
 知り合ってひと月にも満たない男の子の部屋へ、わたしが身構えもせずついていったわけではない。
「夕飯つくるからさ」
 餌に釣られたのだった。

 

今週のお題「卒業」

 

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「朝行く月/水に咲く花」

「朝行く月/水に咲く花」

 

「朝行く月-03(1)」楢﨑古都

 

  彼の手料理を口にしたのは、大学二年の前期試験がすべて終了した日、夏の盛りはじめのことだった。
 児島順平は、授業という授業をサボっている人だった。友人から、どうしようもなく困っている奴がいるから助けてやってくれとノートの写しを頼まれ、出会った。
 寝癖が、つねに好き放題にはねた頭をしていた。大学から徒歩十数分圏内に部屋を借りているにも関わらず、授業へはまともに出てこない。午前中に姿を見かけることはまずなく、めずらしく午後からやって来たとしても、眠そうな顔は一向にさえない。
 引き合わされたときも、彼は縦横にしわの走った、明らかに寝起きだろうと思われるシャツ姿で現れた。
「佳世子ちゃん、悪いんだけどこいつに哲学と法学のノート貸してやって。できたら、去年の心理学と環境学もあると助かるらしいんだけど」
 友人が、決まり悪そうにうつむいている彼の背中を押しやる。
「うわ、眠そう」
 思わず口にしてしまってから、あわてて「ごめん」と言い添えた。そばで友人がたまらず吹きだした。本人からは「世話んなります」と頭を下げられてしまった。ほんと、ごめんなさい、とわたしは重ねてあやまった。
「謝ることないって、佳世子ちゃん。こいつが一年で取った単位、かろうじての二桁なんだから」
「嘘でしょ」
「やる気なさすぎでしょ」
「あほ、そんなことまで言うな」
 友人を小突く姿は、恐縮して及び腰になっていた。
「かろうじてって、いったい取ったの」
「十二だって。うちの学部は留年しない代わりに、四年で終われなかったら五年生になれるからねえ。卒業は俺らの一年後かもな」
「やめい」
 散々こけにさればがら、彼は哲学と法学のノートを1ページ目からひたすらコピー機にかけていった。

 

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「朝行く月/水に咲く花」

「朝行く月/水に咲く花」

 

「朝行く月-02」楢﨑古都

 

  毎朝米を炊くようになって、三ヶ月が経つ。わたしは料理が得意な方ではない。というか、彼と出会うまでは米すらといだことがなかった。
 地元で美容室を開いている母は昔から一切料理をしなかったし、ご飯は電子レンジで温めて食べるものだった。カップラーメンが一週間つづくことぐらいざらで、ホカ弁や店屋物のメニューは食べ尽くしていた。買ってきた惣菜をトレイから直接割り箸でつつくのが我が家の当たり前で、食卓にお茶碗とお椀が並ぶのは給食だけだと、小学生の頃まで本気で思っていた。
 十代にも満たない頃だったと思うが、母が用事で夜家を空けたとき、近所の知人宅へ預けられたことがある。わたしはそこで夕食をご馳走になったのだが、まるで給食みたいな晩ご飯だった、と迎えにきた母に話したら、帰り道大笑いされた記憶がある。
 中学校で調理実習があったときには同級生たちがテキパキと土鍋で白米を炊いてゆく様を、邪魔にならないよう隅に控えて見つめていた。獣数分ごとに火力を変えたり、吹きこぼれないよう一時もそばを離れることが許されないとは、なんて手間のかかる食材だろう、と息をもらした。自炊せず、冷凍食品で食卓を彩る母に共感してしまった。
 食事なんて空腹が満たせればよく、味など二の次だった。大学へ入学し、学生食堂の日替わり定食を口にするようにもなったが、外食に慣れてしまった私の胃には、特別な感動がもたらされることもなかった。

 

今週のお題「卒業」

 

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「朝行く月/水に咲く花」

「朝行く月/水に咲く花」

 

「朝行く月-01」楢﨑古都

 

 息を詰めて右手を浸した。数千の米粒が冷水に溺れている。つき餅を返すように手の腹をまわし入れ、こすり合わせる。白く濁った水を慎重に排水溝へと注ぎ、蛇口をひねる。指先の感覚が流れにさらされ遠くなっていく。空気に触れ、ボウルに添えた手が一層かじかんだ。
 何度か水を換えとぎ終えると、釜に移し三合目まで水を張った。水滴を拭い、炊飯器に収める。炊き上がりを二時間後に設定して、蓋を閉じた。
 まくっていた寝巻きの袖を下ろすと、肌がぬくもりに安堵して身ぶるいした。
 外は、まだ明けてもいない。カーテンを少し開け、曇った窓ガラスをなでる。結露が数本の線となって表面を垂れた。覗いた先の下端でオリオン座が瞬いている。カーディガンを羽織り直し、わたしはカーディガンを羽織り直し、再び布団へ戻った。

 

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「朝行く月/水に咲く花」

「朝行く月/水に咲く花」

 

賜りし我が祝別のロザリオに春のきざしぞふりそそぎける

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落選短歌_2020_01


  君たちの踊りあがるる春待ちぬ風邪気などには負けてくれるな

 賜りし我が祝別のロザリオに春のきざしぞふりそそぎける

 今日からは新しい靴 新しい通学路 春、小石蹴りゆく

 「来来よ」人懐っこい帳くんのひょろ長い腕八重歯が白い

 かたちから入るタイプで消しゴムと転写シートを一揃い

 着道楽四十八茶百鼠はいからさんはいまもむかしも

 

今週のお題「卒業」

 

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