かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

くじらの歌う唄-04(1)楢﨑古都

 

「クジラとイルカの違いって、何か知ってる?」
 京子は新聞をとっていなかった。代わりに、一か月分の番組表が掲載されている雑誌を買ってきて、隅々まで隈なくチェックしていた。目当ては動物の生態や自然紀行ものといった特集番組で、探してみるとこれが結構あるものだった。彼女はそれらを片っ端から予約録画し、仕事のない日に一度ならず二度三度と見直すほどの入れ込みようだった。
「イルカもクジラも、みんな一緒のクジラの仲間なんやて。違うのは大きさだけで、小さい方をイルカって呼ぶんよ」
ひときわくり返し見ていたのは、海の底の生き物たちを映した番組だった。マダガスカルやアフリカの大平原、オーストラリアのコアラたちを見ることは稀だった。
 まぶしい陽射しをうけ、何千枚もの光の鱗が海面に輝いている。一艘の船が、白い泡波を立てて走っていた。航跡の中をイルカの群れがからだをひねり、仰向けになったり、ターンしてみせたりしながら、じゃれあい泳いでいる。風に帆は大きく膨らみ、船は彼らの先導をうけてしぶきを上げていた。
 深夜、ビデオをまわすとき、京子は部屋の電気をつけなかった。テレビも消音設定にし、おなじ海の底を意図的につくりだしているようだった。画面が波の上から海中に切り替わると、部屋の四方の壁も青い波紋に揺らめいた。イルカたちがカメラの前を横切ると、遊泳はわたしたちの元にも影を落とした。
 遅い夕食をとりながら、京子はイルカやクジラの生態についていろいろと話してくれた。世界最大の大きさを誇るシロナガスクジラ、水族館で馴染みのバンドウイルカ、模様が砂時計に似ているのはハセイルカだった。クジラの回遊経路や生息地に至るまで、京子は驚くほど詳しかった。
「くうちゃんも、イルカかクジラやったらよかったのにな」
 食べかけのカップ麺を床に置き、京子はおもむろに立ち上がる。足はトイレへと向かった。今夜もきっと、喉の奥に指を突っ込むのだろう。京子は自ら隔絶した空間で行っていることに対して、わたしは気がつかないふりをしていてやらねばならない気がしていた。
 船首に押しだされる波に乗り、競争しあうイルカたちの映像に画面が変わる。無音の室内に、しばらくわたしはひとりきりになる。床に置かれたカップ麺は、数時間後にはすっかり伸びきって、捨てられてしまうことだろう。半分も食べ終えられない彼女の夜食は、一日二食しか食べないくせに、まともに完食された試しがなかった。
 京子は物を食べてはよく吐いた。枝豆だとか冷奴程度ならば一粒一口ずつ缶ビールとともに胃に落としたけれども、大抵の食事は消化を待たずトイレに流された。

 

【kindle ことことこっとん】

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ  

 

「くじらの歌う唄/メルヒェン」

「くじらの歌う唄/メルヒェン」