オーケイ、そのくらいにして。
思いもよらないときにしか、転機はおとずれてくれないもので。
なにか期待してしまっているいまは、ぎらぎらもしくはどろどろしていて、元来ひそやかでありたいささやかなそれらから、わたしたちはひらりさらりと身をかわされているんだろう。
でも、きっかけのきっかけにはもう出くわしているのかもしれなくて、それはいつだって思い過ごしで終わることが多いのだけれど、あの目尻の笑いじわ、小さな嬉々のつみかさね。
人生予定調和ならわかりやすくて安心なのに、なんて思うのはいまだからなんだろうな。
しあわせになりたいって、小さな子どものころからただひたすらに漠然と願っていた。
それがどんなものなのか、どうすれば手に入れられるものなのか、まるでわからないまま大人になって、わたしちゃんたちは未だによくわからない。
だって、しあわせはいつも必ず道半ばで生気を失って、あとに残るのは空っぽの箱。
オーケイ、そのくらいにして。
今日は映画でも観にいこうじゃないか。
ずっと前から、そう決めていたんだろう。満ち足りた休日の午後!
無理をする必要はない、のんびりブランチをとって、身支度を整えて、できたら洗濯もすませられたらいいなっていうのは少し欲張りかな、きみはなかなかいけてる女の子だ、ぼくが保証する、一日が終わってしまうことを不安がったり無駄にしてしまったかもしれないと落ち込むことなんてない、きみは精一杯生きている、やる気がもうずっと出ないって? ああ、それはそうだろうさ、そういう時期なんだ、たくさんのものを背負っている、どれからおろしたらいいかもまだよくわからないんだ、大丈夫、いつのまにかきみの背中は軽くなる、おろそうと努力する必要もない、そいつらは勝手に落ちていく、だから焦る必要なんてない、イージーにいこう、気楽にさ、たまに軽くステップを踏んでみるのもいいかもしれない、タンタンタタン、気恥ずかしさ、でもそれがきみの心を少し浮つかせるだろう、よい方向にさ、なんでもいいんだ、思いついたことをなんでもやってみたらいい、きみはとてもかわいらしい女の子だ、自信なんて持つ必要はない、ただきみはきみだと自覚するだけでいい、さあコーヒーをいれよう、ぼくらは脆い、公平に、できることなら誠実に、個人的な意見さ、僕の言ってることわかるかな。