かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

「水に咲く花-08(3)」楢﨑古都

 

 真っ赤とピンクの造花が開きかかっているコップを手に取り、目の高さに掲げて中身を覗き込んだ。水が提灯の灯りで揺らめく。
「片桐がそんなことを言ったの」
 わたしは無言で答える。
「やっぱ言うんじゃなかったな。ごめん、話しちゃったんだ。いち子ちゃん、気にしなくていいから」
 見せて、と篠崎くんの手が伸びてくる。わたしはそれを拒んで、両手にぎゅっと力を込める。
「いち子ちゃん?」
「終わりにしよう、篠崎くん。もう充分。こんな中途半端な関係、やっぱりよくないよ。ここままじゃ、いつまでも篠崎くんに甘えちゃう。篠崎くんの恋愛を邪魔する権利なんて、わたしにはない」
 篠崎くんはすぐに手を引いて、ほかのコップを手に取った。露店主は、家族連れの幼稚園くらいの女の子と一緒に花を選んでいる。こちらの話は、あちらまではとどいていなさそうだ。
「好きな人ができた?」
 篠崎くんは、これが気にいった? とでも聞くような軽さで聞いた。
「ううん」
「それなら、まだやめる理由はないんじゃないの」
 笑ってごまかしてしまおうか。逃げてしまいたくなって頬の力を抜いたら、逆にそれまでよりもっと目頭が熱くなった。今度は篠崎くんが、顔の前で水中花を灯りにかざしている。視界がぼやけるのを必死でこらえた。
「篠崎くん、もっとちゃんとしたお付き合いをするべきだよ」
 ほんの少しだけ間があってから、彼は答えた。
「俺は、いち子ちゃんがいいんだけど」
 声は、いつもよりずっと低く聞こえた。
「わたしは、篠崎くんのことを、恋人として好きになれない」
 つま先立ちでしゃがみこんだ下駄の足先がしびれていた。
「それは、俺じゃなくても、でしょ」
 こんっと、かたい音を立てて、コップが板の上へ置かれた。必死に、手元の水中花へ意識を集中させた。
「ママ、あたし、お姉ちゃんのがいい」
 突然、会話に甲高い声が混じった。隣の女の子が、わたしの持っている水中花を指差している。露店主がすまなそうにふり返った。
「お嬢ちゃん、ごめんな。あれはあっちのお姉ちゃんが先に選んでたやつだから、ほらこっちのお花もピンクでかわいいぞ」
「いや、あれがいい」
 駄々をこねる女の子の眼差しは、援護を求めて両親向けられる。
 いいですよ。
 出来損ないでもなんとか笑顔をつくって、握りしめていた水中花を差し出そうとした。
「すみません、これがいいんです。これをください」
 彼の声が、わたしの声と手元とを抑えてしまった。

 

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