かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

「水に咲く花-02(1)」楢﨑古都

 

 わたしたちは、特別会う回数が増えたりするわけではなかった。もともとしょっちゅう会っていたし、それまでどおりなにが変わるわけでもなかったのだ。
 せっかくだから、手つないで歩こうよ。
 言われて、そうするようになったくらい。それ以上はなにもしない。わたしも求めていなかった。
 母さんが離婚した時、わたしは九つだった。幼心に、父を毛嫌いしていたのを覚えている。
 何度か、父に連れられて母さんよりも幾分若く見える女の人と喫茶店に入った。
 なにが食べたい?
 会うたび、決まってその女の人はわたしにそうたずねた。
 なんでもいいのよ。
 父にも急かされて、わたしは投げやりにホットケーキを指差した。
 いち子ちゃんは本当にホットケーキが好きねえ。
 やがて注文したメニューがテーブルに運ばれてくると、わたしは父や女の人の会話なんて無視して、ひたすらホットケーキを口の中へと押し込んだ。安っぽい味のするオレンジジュースは、つかえた喉を一気に流れ下るのだった。
 休日、そうして父に連れまわされ家へ帰ると、母さんは大抵三日間は口を利いてくれなかった。いまとなっては笑い話にもなるようなものだが、当時としては相当だった。仕事だと言って平日ほとんど家へ帰ってこない父と違い、わたしは黙りっきりの母さんと学校から帰ってきて夜寝るまで、延々二人で過ごさなければならないのだった。遊びに行くこともできず、大人気ない母さんをずいぶん恨めしく思ったりもしたものだ。
 やがて父は家に帰ってこなくなり、母さんはわたしを連れておばあちゃんの家へ帰った。
 おばあちゃんは旦那を、つまりはわたしの祖父を早くに亡くしていて、母さんが帰ってきたとき、
「やっぱり父親がいなかったせいかねえ、ほんに男運のないこと」
 とため息をつきながら言い捨てた。
 小学三年生の子どもの耳に、祖母の台詞はあまりに強烈に響いた。母さんは何と答えたのだったか、その後どんな会話がつづいたのか、全く覚えていない。
 わたしが中学三年生の冬、祖母は風邪をこじらせて亡くなった。最期まで、母さんとわたしのことを心配していた。母さんが働きに出るようになって、すっかりおばあちゃん子になってしまったわたしに男親のいないことが、やっぱり心残りであったのだろう、といまでも思う。

 

お題「思い出の味」

 

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