なんもかんもひっくるめて、憂鬱と呼んでいる。それは、わたしという人間をかたちづくり、わたしという人間をあらわし、わたしという人間をつたえ、わたしという人間をつきはなし、わたしという人間をうっちゃり、すべてせんないことよなとあきらめる。
言わなくてもよかったことを、言ってしまったなあという帰り道。
なるべく、いろいろのことに口出ししないように心掛けているのになあ。
つい、ぺらぺらとうまくないお喋りをして、うまく伝えられずに下手をこく。
どうして、上手にしゃべれないのに、説明できないのに、しゃべってしまうんだろう。
考えて、何度も書き直して、言葉を選んで、やっぱりぜんぶ消して、書き直して。
そういうのくり返さないと、まあまあにもならないのに。
空気読まない子だったなあ、あの発言は。
空気読めてないの、自分でわかってるんだ。
言わなきゃいいのにって、自分じゃなかったらおもってる。
わたしという人間の美徳は、かたらないことだ。
語らないこと、騙らないこと、変換されて気づかされたり。
冷めてる。
女の子たちはとてもすなおだ。
わたしとはまるで別の生き物だ。
わたしは、あの子たちみたいになりたかった。
あの子たちみたいに、きゃらきゃらとした存在でありたかった。
一方で、わたしはあの子たちをばかにしているんだ。
その程度のことで泣いちゃうんだとか、
言わずもがなのことがどうしてわかんないんだろうなとか、最低。
何様だよ、おまえさま。 ふざけてんな。
今度こそ、今度こそと、毎年おもっていた。
凛々しい女性だとおもう、私的イメージなのだけれど。
川上未映子さん然り。
わたし、ほんとうは凛々しい女性になりたい。
みんな、私的イメージなのだけれど。
泥まみれになることなく、きらきらと溶けていった雪みたいなすがすがしさ。
あこがれているあいだは、無理なのだ。
何者かでありたかったね、わたしは。
でも、何者かであったわけではなく、みな何者かになるのだ、おのれの意志で。
なんもかんもひっくるめて、憂鬱と呼んでいる。
それは、わたしという人間をかたちづくり、わたしという人間をあらわし、
わたしという人間をつたえ、わたしという人間をつきはなし、
わたしという人間をうっちゃり、すべてせんないことよなとあきらめる。
あきらめきれないところに、わたしがいる。
くだらないわたしがいる。
どうしようもないわたしがいる。
ちゃちでちんけでみっともないわたしがいる。
でもせめて、そう言いきれるわたしなら、まだ凛々しい。
それすら自信がない。
なんにもない。
それなのに、必要以上にかたったりして、身の丈に合わず後悔したんだね。
残念ね。
おやすみ、ちゃちでちんけでみっともないせかいに眠るわたしたち。
芥川賞に滝口さんと本谷さん 直木賞に青山さん NHKニュース
「賞は作家にとっての餌のように感じることがあって、『もっと書きなさい』と言ってくれているような気がします。その餌がないときでも書き続けることが、作家にとって大事な資質だと思います。自分にそれがあるのか試されます」・・・memo