春菊の青きを刻み道を知る
今朝、今日こそ開花か、いや明日か、とソメイヨシノ開花の話題がトップニュースにあがっていた。いや、そんなことより! とこころの底でつっこみをいれつつも、きっとこういう情緒みたいなものって実は結構大切なことなんだろうな、とふいにおもった。身支度しながら、視界の端で知る季節。今週は寒の戻りらしいから、桜はじょじょに花開いて、しかもしばらく雨予報も見かけないので、いつもよりほんの少しだけながく、あの薄いぴんく色のめいっぱいを見上げられるのかもしれない。
なので、今日は職場へ到着するまで、知っているソメイヨシノの木をいちいち見上げて歩いた。まだまだ固い、幹色のつぼみ。ひとつだけ、ふんわりと開いているのを見かけた。夢心地の朝一番に、差し込んだ光と終わってしまう恋*1。さくら舞い散るなかに忘れた記憶と、ひゅるりら、ひゅるりら*2。聞きかじりのポップソングが頭のなかでくりかえし流れる。
ぼんやり、しているなあとおもう。ここまでやればいいですよ、の少し上を目指して仕事をしていた。暇すぎてネットサーフィンしているより、なにかやれることがあった方がずっと気楽。それが、ここ最近できなくなった。
間違えないように、混乱してしまわないように。ひとつずつ。順番に。優先順位がわからなくなったときは、一旦手放して、改めて並べ直してみましょう。
処理能力が低下している。そう自覚するのは、なかなか衝撃的だ。頭のなかはまっしろになるのではなく、こんがらがったまま放置するしかなくなる。
それでも今日は、週はじまりの慌ただしい月曜日を、とんとんとんと特にひどいじょうたいになるこどなく仕事することができた。よかったなあ。もともと、わたしちゃんはいくつかの案件が重なるとちょっとてんぱるところがあったし、なにもいま、いろいろのことができなくなっていると、いちいち自分にがっかりしなくてもいいじゃない。わたしは、わたしちゃんをつかって、わたしのことを俯瞰する。
お昼休み終わり、こっそり呼びとめられて、なんだろう緊張するな……と、そわそわしながら後をついていったら、自宅で栽培していたという山のような春菊の束を、よかったら持って帰ってくれないかと 渡された。最近あたたかくなって、いよいよ威勢よく育ちまくり、もはや自宅では食しきれないので会社まで持ってきたのだという。正直、あまりのあふれ返りっぷりに、スーパーのレジ袋いっぱいに束ねられた春菊の使い道について、さっそく手におえない感じを味わいながらも、子どものころ苦手だったあの独特の味わい、あれをおいしいと感じたときの「わたしちゃんったら大人!」と心躍ったすき焼きの思い出なんかが一気にフラッシュバックして、いただきます! とごっそりいただいた。
そして、春菊の苦みに青春の機微を連想ゲームして、表題の句。チューリップの「青春の影」がいまは頭のなかで流れている。チューリップ*3も春ね。
そろそろ寝なくては。明日は病院へ行くので、有給休み。昼間、先週から言ってあったのに、上司からちゃんと状況確認しておいでね、と念を押された。まあ、もしもほんとうに休職なんてことになったら、会社側も大変だから。そこまでは落ちていないと思うのだけれど。そう思いたいだけかな。今日みたいに、元気に過ごすための気持ちの調えかたのようなものもちょっとわかってきたような、そうでもないような、騙しているだけのような、それでもいいような、時間が解決してはくれない? ひゅるりら。
寝ましょう。おやすみなさい。