*Rosemont*
さむくて、こころがくじけそう。
家のリビングの壁時計がとまってしまっているのです。
かれこれ1週間ほど経つのではないかと。
わたしの手ではとどかない、けれど台を使えばきっととどく、のにずっと放置している。
とまっているというのは正確な表現ではなくて、実際のところ、いまも時計はのろのろと時を刻みつづけています。
もう何時間前なのかわからない、あれは周回遅れをますます。
むかし、母が言うところの不健康だったころ、その最たる時期であった2ヶ月間、わたしちゃんは部屋のカレンダーを一度も認識しなかった。
ある日、なにがきっかけだったのか、正直何月だったのかももう覚えていないくらい曖昧な記憶なのだけれど、今日!という日をにわかに認識すると同時にカレンダー!が視界に飛び込んできたのだった。
カレンダーは完全に過去にいて、うわあ、わたしの時間はここからずっと止まっていたんだなんてこった不健康!と慄く自分にさらに驚いて、あ、なんかひとまず大丈夫そう、こっち戻ってきてる、と一息吐きだした思い出。
ーーねえ!わたしたち素敵でしょう!駅ビルに行けば会えるような、あっちでもこっちでもお目見えするような、そんなありきたりの存在ではないの!わたしたち!きっとあなたとは、ここでしか出会えないわ!さあ!じっくり見つめてごらんなさいよ!ぜったい後悔なんてさせないわよ!わたしたちは特別なんだから!
といったアピールで満ちあふれたおしゃれな駅ビルという適当すぎる描写でここは済ませることにするけれど、そこで、もう3年か4年くらい他の場所で気になっていた腕時計を見つけて、いままで一度もそんな勇気わかなかったのに、華奢で白くて長い指をした店員さんを呼びとめ、ローズゴールドの薔薇を試着させてもらった。
その時計をわたしは、やっぱりおしゃれなものしか置いていない別の場所で見かけていて、だけどそこは人の出入りが激しいので、お店の人たちも忙しなくしており、素敵だなあと思いつつ、この素敵なものを購入するに値する心の準備や状況がうまく整わなくて、ずっと見ているだけだった。
きっと、居間の時計が周回遅れの時間のなかにいたりしなければ、わたしはきのうだってこの時計を素敵だなあと眺めて見つめてはあああんとため息ついて立ち去っていたに違いないのだ。
でも、壁掛け時計は遅れていて、わたしちゃんたちはそのことがとても気になっていて、だけど自分たちではどうにも駆け足させてやる無理矢理さを発揮できなくて、だけどわたしたちはちゃんともっと先のいまにたどりつきたくて、だから、くださいって言ってしまえたのかしら、かしら、かしらね。
そういった行動を衝動買いと言うのよ。
とにかく、おかげさまでわたしちゃんはほんの少しご機嫌です。
長くて白くてきれいな指の店員さんは、金属のベルト部分のパーツを二つ外して、留め具の部分を一つ詰めて、わたしの手首に指1本分の余裕を持たせた、ぴったりの輪っかを仕立ててくださった。
留め具の小さな芯を、ミニマムなゴムのとんかちと長い針のような工具でこんこんこんと打ち込み抜いて、幅をつめ、また芯を打ち込みつなげあわせてできあがり。
うつくしいものを見ました、目の保養といっても過言でない!うつくしかった。
かつて、スイスで時計職人になりたい!と世界ふしぎ発見かなにかで特集されていたのを見かけた時分、結構本気で心に秘めたのと同じくらいの高揚感。
時計なんて邪魔だろうし手首骨ばっていて無骨だし似合わないからいいやと試しもせず諦めていた自分、見てごらん!
大事すぎるのでつけるのどうしよう傷つけちゃうかもとか、またもや迷い悩むも、わたしちゃんつけなかったら時間は追いつかないわよ!って言われた、だれにかしら、ほんとは正しい時間に戻るのがすでちょっと怖いのもあったのだけれど、すてきねって手首の重さを実感するだけで、時間なんて確認しなくていいんだって1日つけてみて気付いた。
わたしちゃん、よかったね。