かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

くじらの歌う唄-05(4)楢﨑古都

 

 

「祥子ちゃんの指、気持ちええなあ」
 お風呂から上がると、わたしは京子の髪の毛にドライヤーをあててやった。温風の向こう、細いウェーブがなびいて、赤身の増したくちびるが垣間見えた。それが、忘れものみたいなあくびをひとつする。小首を傾げたうなじに沿って、わたしは鼻先をすり寄せた。
「どないしたん、祥子ちゃん」
 せっけんの香りのする京子の首筋にわたしはくちづけて、答えを曖昧にする。
 ふと、湯舟に浸かっているあいだもつけっぱなしにしていたテレビ画面へ視線が吸い寄せられた。
「クジラがいる」
「え?」
 カメラが暗い藍色の波間に、白いまだらの目立つ黒い山を上空から捉えていた。
「ほんま、迷子クジラやわー」
 ――湾内に姿を現したコククジラの体調は七、八メートルあり、回遊途中に迷い込んだものと見られます。約五分置きに海面へ浮上しては、尾を跳ね上げたり潮を吹くなどして、近くの岸壁から見物している人々の歓声を集めています。
 読み上げた女性アナウンサーが、横にいる男性アナウンサーに、もう名前もついているみたいですよ、と笑顔で話しかけている。
「見にいこうか」
 京子の腰に腕をまわし入れ、背後から抱きつく。ドライヤーの温風でほのかにぬくもった髪が、肩に乗せた頬をくすぐり、その場所を居心地よくさせる。
「本気? 祥子ちゃん」
 わたしは顔を上げて、間近でうなづいてみせる。単純に出かける口実が欲しかったのかもしれない。京子と一緒に、海へ行きたくなっていた。
「あーでも祥子ちゃん、その前にね、朝ごはん食べへん? 実はくうちゃん、さっきからめちゃめちゃお腹鳴りまくってて。いまなら何か、食べられそうな気がするんよ」
 照れ笑いを隠して上目づかいになった京子のお腹が、早く、と催促するのがそばから聞こえた。
「笑わんといてーや、もうー」
「何が食べたい?」
「つくってくれるん」
「冷蔵庫の中、缶ビ以外に何か入ってたっけ」
「うーん、なんもあらへんな」
 わたしたちは急いで服を着替え、出かける支度をした。あわただしく洗面所と化粧台の前を往復して、今日一日の計画を立てた。
 パン屋さんのサンドイッチとか食べてみいひん? ふんぱつして、デパ地下のお総菜コーナーいって選ぼうか。サーモンとか、オリーブとかはさんであるやつ。フレッシュジュースも飲みたいなあ。朝ごはんは電車のボックス席で食べてさ、お昼ご飯は海のそばで食べよう。こんなん久しぶりやわ。なんかわくわくする。ピクニックみたいやね。
 いつもはミニスカートかワンピースの京子が、ジーパンにトレーナーを着て、髪をひとつに結い上げていた。後れ毛が、うなじのそばで自由にしていた。

 

お題「#おうち時間

 

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「くじらの歌う唄/メルヒェン」

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