くじらの歌う唄-05(3)楢﨑古都
くじらの歌う唄-05(3)|楢﨑古都@kujiranoutauuta #note #熟成下書きhttps://t.co/d7XBQDrOvh
— ✿すいすい✿ (@kujiranoutauuta) 2020年3月21日
「クジラの唄、聞きながら思ったんよ。ああきっと、クジラは海の底で恋をしたかったのやわって。くうちゃん、クジラと一緒に泳いどったんよ」
遊び疲れた波が、湯舟を行ったり来たりしていた。
「その前後の夢は、全然思いだされんのやけどな」
わたしは呆気にとられて、垂れてくる水が目に入るのもいとわなかった。
夜の底で聴いたザトウクジラの歌う唄は、メスを誘うラブソングだった。何キロも何十キロメートルも離れた先へ、いるかどうかもわからないその人を、くじらは探し求めていた。
彼らの出会いは偶然だろうか、歌声にみちびかれて交尾をし、子孫を残してサークルの一部に加わること。自然の摂理に従った、必然的な本能の結果であることには違いなかった。何より、わたしたちはそうして受け継がれてきた。感情など存在しなくても、わたしたちはつづいてきたのだった。
けれども、クジラが海へ帰っていった理由、それはほんとうに京子の言うとおり、たったそれだけのことだったのかもしれない。
「祥子ちゃん」
「うん」
今度は、わたしが悲鳴をあげる番だった。さっき、わたしが仕掛けたのとおなじところを京子はくすぐってきて、そこからまた際限のないじゃれあいをはじめる。
くじらになりたがった京子も、待ちつづけたわたしも、実ははじめから答えを知っていたのかもしれない。玉手箱の中身を期待していたのも、白馬に乗った王子様がいつの日か迎えにきてくれると信じていたのも、要するにおなじことだった。玉手箱には鍵穴もなければ、ふたと底の切れ目もなかった。竜宮という夢うつつの答えはたまゆらでしかなかった。ありえない一瞬にいくら焦がれても、得られるものなんて何ひとつなかったのだ。開かなければ、男も老いることはなかったのだから。
それでもひとは、ひょんな偶然から煙を浴びてしまうのかもしれない。現実は、昔話で語られなかった続きの物語だ。わたしたちは主人公にはなれないし、背景もつくりものなんかじゃない。赤ん坊はよみがえらないし、時間は戻すことができない。だから人間はどうしようもなくなって、死について考えてしまったりするのかもしれない。
お題「#おうち時間」