くじらの歌う唄-05(1)楢﨑古都
くじらの歌う唄-05(1)|楢﨑古都@kujiranoutauuta #note #熟成下書きhttps://t.co/PlpPT46u3S
— ✿すいすい✿ (@kujiranoutauuta) 2020年3月19日
睫毛の長い丸顔の女性アナウンサーと、六十を過ぎても独り身の男性アナウンサーの、間の抜けたやりとりが聞こえる。ベテラン女優と新人お笑いタレントの電撃入籍だとか、人気歌手グループの新曲プロモーションだとか。当たり障りのない、むしろくどいくらい好意的なコメントを交わす二人羽織りには、ときにうんざりもさせられるのだけれど、残り半分はわたしたちに均等に与えられる当たり前の日常、その延長線またははじまりの安心感でもあった。
寝心地が悪いのと、なんだか肌寒いのとで寝返りを打つと、縮こまったからだにブランケットがかけ直された。
「京子」
ぬくもりに、両腕の鳥肌がやわらぐ。眠い目をこすり、まぶたを開けると、いつかの夜みたいに京子の声がわたしの顔を覗き込んだ。
「あ、祥子ちゃん。ごめん、起こしてしもたか。よー寝てたから、も少しこのままにしといたげよ、と思てたとこなんやけど。起きるか? 寝るにしても、いい加減ここはしんどいやろ。ベッド移りい」
うなずいて、わたしは起き上がる。横座りになり、立ち上がろうとして、足が攣ってしまった。ふくらはぎが硬直して、痛さに這いつくばってしまう。
「あららら、もしかして立てへんの。あちゃー、くうちゃんのせいやわ。ついさっきまで、祥子ちゃんのこと枕にしとったからなあ。ごめんごめん。ええよ、そのまま座っといて。ソファには上がれる?」
わたしは何とかソファによじ登ると、ひじ掛けの部分を枕にして横になり、ブランケットをまとった。京子はまだ寝ぼけているわたしの姿を見て笑い、散らかっている昨夜の食べ残しや空き缶ゴミを片付けはじめた。
わたしは、ぼんやりと目の前の京子とテレビの中のアナウンサーを見比べ、いったいどちらが本当に世の中の真実と近いところにいるのだろう、と考えてみる。京子は事実を体験し、アナウンサーは事実を読み上げた。それ以上でも、それ以下でもなかった。それどころか、大体においてわたしたちは、聞き流して終わってしまう視聴者でしかないはずだった。こちら側にいるわたしたちは、つねに真実なんて求めてはいないし、答えなんて生きてゆくのに何の役もたたないことの方が多かった。
死んだ男が何者で、どんな理由があって、あの日あそこで死ぬことに決めたのか。そんなこと、わたしたちには見当もつかない事柄だった。クジラがどうして海の底で文明をもたなかったのか、なんて問いに答えが用意されていないのと同じことだと思っていた。
お題「#おうち時間」