かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

くじらの歌う唄-04(4)楢﨑古都

 

  まるで人間みたいやんか、と京子が眉をしかめるのは、朝のテレビニュースやなんかで、クジラの集団座礁のことを集団自殺と言い換えたテロップを流していたりするからだ。クジラは自殺なんてしない、わたしたちがそう信じているにも関わらず。
 けれどもわたしたちは一方で、ああ、かわいそうに、なんて嘆息していながら、服を着替え歯を磨き、身支度を整えて家を出る頃には、座礁したクジラのことなどすっかり忘れてしまう。手の届かない位置にあるもののために、心を痛めている余裕まで、持ち合わせてはいられない。まとめて他人事として片付けてしまわなければ、わたしたちは毎日をまともにせいかつしてゆくことすらできない。
 テレビ画面に映るのは、いつだって自分の外側で起きた出来事に過ぎない。時間の経過とともに、忘れ去っていってしまうのも仕方がない。通勤、通学の満員電車が人身事故の影響で遅れたとしても、それは遅延証明書をもらうための理由でしかなく、わたしたちはそこに命の気配まで感じとってはいられない。それぞれに抱えた目前の悩みや問題があって、わたしたちは自分自身のことでいつだって精一杯なのだ。
 京子の体制はずるずるとくずれてゆき、いまはわたしの太腿の上に頭があった。吐く息が湿り気をもって、膝頭に吹きかかっていた。神経を集中させて、息をひそめなければ、たちまち見失ってしまいそうな空気のかたまりだった。
 一頭のメスをめぐって、数頭のクジラのオスが身体をぶつけあっていた。尾びれで激しく水しぶきを上げ、巨体を海面から飛びだしてライバルを威嚇する。メスは嫌がっているのか、お腹を水面へ向けてみせたり、浅瀬へ逃げてゆこうとしている。胸びれを高く掲げて、海面に叩きつけてみせもした。オスたちは突然、謀ったように彼女を取り囲み、下へ下へと追い込みはじめた。やがて、逃げられないよう周囲を固められたメスの元へ一頭のオスが近よってくる。重なりあうと、白いもやが立ちのぼった。
 動物たちの凶暴性は、自然界の摂理に組み込まれていた。生き物は子孫を残すことが第一前提にあるから、オスはメスと交尾することができて初めて、その生をまっとうしたことになるのかもしれない。陸へ上がって自殺する知恵を得るよりも、クジラが海の底で求めたものは、いったい何だったのだろう。
 メスを引きとめていたオスたちが、一頭また一頭とその場を離れてゆく。先ほどから京子に握られていた腕に、立てられた爪が刺さり沁みていた。痛みは、話されない赤ん坊の父親のことを案じさせて、声をあげることができなかった。

 

お題「#おうち時間

 

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「くじらの歌う唄/メルヒェン」

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