かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

くじらの歌う唄-03(1)楢﨑古都

 

 京子は立ち上がると、一枚の封筒を手にして戻ってきた。淡いピンク色の中から出てきたものは、子宮内のエコー写真だった。陽にも焼けていない、か細い身体つきからは想像もつかない真っ暗な空洞が、そこには写しだされていた。
 粗い白黒の素描の中に、小指の先ほどの影が浮かんでいた。唐突に、わたしは彼女の子宮をまったくの別次元の空間として捉えていた。唐突に、わたしは彼女の子宮をまったくの別次元の空間として捉えていた。人のかたちをとるよりずっと以前の、手も足もない豆粒の影は、生き物というより単に縁取りをされたものでしかなかった。
「男の子か女の子かなんてのも解らへん。二ヵ月過ぎたかくらいの頃やってん」
 ソファに横たわる京子のお腹に、わたしはブランケットをかける。
「最初、赤ちゃんできてしまったって気いついたときはな、周りに頼れる人も相談できる友だちも、誰もおらんくて、ほんまどうないしていいんか解らへんかった。お医者さん行くまで、堕ろすとか生むとか、そういうあたりまえのことも考えられへんかって。でもな、この写真もろうて、これが心臓よって教えてもらった帰り道な、くうちゃん、ああ、この子産もうって思ったんよ。お金とか生活とか気にしとったけども、そのどれよりも先に、もう赤ちゃんはくうちゃんのお腹の中におったんやもの」
 京子は写真の奥の生命に触れ、それからわたしの下腹部に手を置いた。体温の重なりあった部分が、内側から低温火傷でも引き起こしたような熱を持ち、直接命が吹き込まれていくかのようだった。
 あの日、踏み切りで死んだ男は、線路に飛びだす直前にわたしの胸をわし掴んでいった。わたしのほかにも、掴まれた人がいたかもしれない。突き飛ばされ地面に膝をついている人の中に、大人の男はいなかった。
 わたしには、犯罪心理学だとか死を覚悟した人間の胸中なんてものは推し量れやしない。けれども、去り際に男と自分の視線とが確かに交錯していたことを、さっき京子に胸を包まれたとき、わたしは思いだしてしまった。伸びてきた男の武骨な痛みは恐怖を遅れて実感させ、脳裏に張りついた顔のない顔は引き剥がすことができなくなってしまった。

 

今週のお題「わたしの部屋」

 

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「くじらの歌う唄/メルヒェン」

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