かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

くじらの歌う唄-02(1)楢﨑古都

 

  京子は大抵、深夜遅くにおぼつかない足取りで帰ってきた。お客に飲まされているのかと思ったら、そうではなかった。お店からマンションまでの道のりは、途中のコンビニで買った缶ビール一本では持ち堪えられないという欠点があった。空になるたび、京子は来た道を買いに戻っていたのだった。憑かれたように、一本だけ、一本だけ、とつぶやいて、マンションとコンビニのあいだを何往復もしていた。

 帰りが遅いのを心配になり迎えにいくと、祥子ちゃあん、としなだれかかってきて、その場に座り込んでしまうこともしばしばだった。空き缶を途中のゴミ捨て場に並べてくるので、いくつも道に転がっているのを誤って蹴飛ばしてしまったりした。

 筋肉のついてない京子のからだは思った以上に軽々しく持ち上がり、痩せた肉のかたまりをおぶったわたしの背中に伝わる感触は痛々しく、まるで十九才の女の子のそれとは思われなかった。

 ベッドに下ろすと、寄りそって横たわり、向けられた背中に冷えきった肌を這わせる。心臓の音が聞きたくて肩を揺すると、眉をしかめた表情でこちらへ寝返った。

 わたしは、頭を京子の胸の位置にあわせて息を吐く。力の抜けた京子のからだはひそやかな寝息をたて、一層小さく見えた。お世辞にも豊かとは言い難い胸に耳をあてがうと、わたしはようやく眠ることができるのだった。

 わたしが毎晩、一緒に眠る相手を探していたのは、腕の内側に人の体温が欲しかったからだ。父と過ごした数年間は、わたしをひどく孤独に、一人では眠れなくさせた。

 京子と出会うまで、それはずっと、男でなければ埋められない穴だと信じていた。体温を分けてもらう代わりに、わたしは自分を提供しつづけた。けれど、いくら寝てみても完全に満たされることはなかった。男たちが一様にわたしのからだを求めてくるのと裏腹に、触れられれば触れられるほど、むなしさは増してゆくばかりだった。

 京子がお酒を飲んでしまうのは、酔ったときにしか平気な顔で過去といまの自分とを向き合わせることができないからだ。忘れてしまいたい恐怖と、忘れてしまうわけにいかない悲しみが、彼女の内側でつねに影を落としていた。

 たまに京子は、うわの空で下腹部を撫でていることがあった。だらりとソファに沈み込み、焦点の定まらない視線で宙を見つめていた。顔色ひとつ変えない彼女の様子は、まるで男たちとの行為の最中にある自分自身を俯瞰している気がして、声をかけることができなかった。

 

 

お題「好きなビール」

 

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「くじらの歌う唄/メルヒェン」

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