「朝行く月-08(1)(終)」楢﨑古都
朝行く月-08(1)(終)|楢﨑古都@kujiranoutauuta #note #熟成下書きhttps://t.co/CjP6VVmxfl
— ✿すいすい✿ (@kujiranoutauuta) 2020年2月19日
目覚めたのは夕暮れだった。CDラックを片付け、一息ついたところで、私まで寝込んでしまったらしい。立ち上がろうとすると、テーブルに突っ伏していたために、体中の関節が動作ごと悲鳴をあげた。眠い目をこすりながら、痛いのを我慢して背伸びする。
暖房で空気は乾燥し、喉はからからに渇いていた。彼の方はとふり返ると、途中で起きたのか床に置いたペットボトルの中身が三分の一ほど減っていた。氷はすっかり溶け、水枕になっていた。
買ってきた氷をもう一袋冷凍庫から出し、起こさないようそっと重い頭を持ち上げる。呼吸はもう、ずいぶん安定したようだった。
枕元の居住まいを正そうと、彼は寝返りを打った。夏から伸びっぱなしの前髪が額に落ちる。毛先がまぶたをつつくのか、眉間にしわを寄せて鼻を鳴らした。よけてやろうと伸ばした手のひらへ、彼の熱い吐息がかかった。湿った体温が空気を伝う。高鳴る心臓にこぶしをあてた。
ふと見渡したテーブル上に、さっき薬の中袋をあけるのに使ったはさみが出しっぱなしになっているのが目についた。私は一直線にそれを掴み、眠っている彼の上へ構えた。造作なく、左手は彼の前髪を握りしめていた。
はさみは一切りで彼と私とのつながりを裁った。
無残に切り落とされた前髪が、額にいびつな散切りを描く。手の中の髪の毛をコートのポケットにつっこむと、私は慌てて部屋を飛び出した。
駆けながら、出掛けにひっつかんだマフラーの裾が地面を擦っていた。並木道の枯れ葉に足を取られ、転びかけると靴が脱げた。
いったい、私は何をしているのだろう。息せき切って、いったい何をふり払おうとしているのだろう。屈み、踵に指を入れて靴を履きなおしたとき、私は自分の手が手ぶらであることに気が付いた。手提げかばんを、彼の部屋に忘れてきてしまった。
駆けてきた道を焦点定まらず呆然と見つめ、立ち尽くす。喉は締めつけられたように浅い呼吸をくり返すばかりで、いくら吸い込んでも肺は酸素を取り入れてくれなかった。
ポケットの中、ばらばらになってしまった彼の髪を握り集めて、はっとした。空が、明けてきている。私は本の数時間居眠りしてしまったのではなく、一晩あの部屋で眠りこけてしまっていたのだ。
米をとぐのに深爪した指先が、いまさらじんと痛んだ。
手に力が入らない。とどめておきたい気持ちとは裏腹に、髪の毛が指の隙間からはらり、はらりと風に散った。目をそらすと、朝に残った半月が、白く吐く息に消された。
2005年05月27日 原稿用紙:33枚
「江古田文人会・第八号」掲載
「第22回日大文芸賞・優秀賞」受賞作