かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

「朝行く月-04(1)」楢﨑古都

 

  部屋は想像に反して整頓されていた。ソファベッドに投げてあったトレーナーをたたむ様には手慣れたものがあったし、後について覗いた台所には、マグカップを鉢植えカバーにした観葉植物が鎮座していた。彼は冷蔵庫の中身を確認すると頭から無地のエプロンを被り、計量カップで米を三合掬った。ステンレス製のボウルの曲線を、粒が弾けながらすべった。
 シンクに移して蛇口をひねると、最初のとぎ水はすぐに取り換えた。米に糠水を吸わせてしまうと、おいしく炊なくなるのだという。そもそも米のとぎ方さえわかっていなかったわたしは、手を回しいれる具合やら添えられる手首の角度などに、逐一見入ってしまった。すすいだ水を捨てるのに彼が腰をかがめたとき、後ろ姿にTシャツの布じわとは別に背筋のラインが走った。触れようとして、慌てて身を引いた。彼はとぎ終えた米を釜に移すと、水を張り、脇へ寄せた。
「炊かないの」
 炊飯器を指差し、わたしは台拭き代わりのタオルの上に置かれたボウルに視線を投げた。
「しばらく置いてから炊くんだよ。家でやってなかった?」
 冷蔵庫から麦茶の入ったプラスチックポットを取り出し、水切りにあったコップに注いだ。
「うちの母親、料理しないから。食事ってほとんど、出来合いかお弁当だったのよね」
「それで、あんなにじろじろ見てたんだな」
 彼が口をつけるのを待って、わたしも喉を鳴らした。
「糠を落としてからきれいな水を吸わせてやるとね、おいしく炊けるんだって。母ちゃんの受け売りだけどな。夏場は四〇分くらい、さらしておくんだ」
 テーブルについて、もう一口麦茶をふくんだ。
「冬はどのくらい?」
「一時間くらいだな」
「そんなに、母さんが面倒くさがるわけだわ」
「お母さん、何か仕事とかしてるの」
「美容師なの、実家が店舗でね」
「へえ、立花さんの髪もお母さんが切ってるの」
「まさか、小学校までよ」
 わたしの髪は、彼よりも短いベリーショートだ。
「ははは、俺も小学生の頃は母ちゃんに切られてたな。坊主にされるのが嫌で、毎回必死で抵抗してたもん」
 彼は扇風機のスイッチを入れ、袖でこめかみの汗を拭った。試験が終わった解放感からなのか、いままでろくに話したこともなかったのに、わたしたちの会話は際限なくつづいた。小中高と出身校についてや家族のこと、共通の友人たちに関する噂話、話題は途切れなかった。

 

今週のお題「卒業」

 

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「朝行く月/水に咲く花」

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