「水に咲く花-04(2)」楢﨑古都
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— ✿すいすい✿ (@kujiranoutauuta) 2020年1月17日
その後が大変だった。いくら謝っても、母さんは三日どころか一ヶ月近くわたしと口をきいてくれなかった。見かねた祖母が、大人げない! と一喝して、ようやく冷戦は終わったのだった。
「今日、見に行く映画ね」
父は帰り際、またな、とわたしに言った。
あれから、わたしたちは一度も会っていない。
「そうそう、何観にいくの」
わたしの指を掴んだ赤ん坊も、今頃は小学生だ。ちょうど、わたしが家出したくらいの年頃か。
「『誰も知らない』って映画。母親が、父親の違う四人の子どもを置き去りにして、いなくなっちゃうの。残された子どもたちの生活を描いたおはなし」
「よく知ってるのね。単館映画でしょう、それ」
冷房を効かせた室内で、わたしは下着姿のまま着ていく服を選んでいた。今日はこれから、篠崎くんと映画を観にいくのだ。
「主役の男の子がカンヌで最優秀賞とか獲ってたからね」
クローゼットから薄い黄緑色のワンピースを取りだし、頭からかぶる。後ろの留め金は母さんを呼んだ。
「夕飯は食べてくるの」
「ううん、帰ってくる。明日、バイト朝からだし」
大学へ行くのとは別の小ぶりなかばんに、財布、ハンカチ、ポケットティッシュをしていく。
「いち子、篠崎くんとつきあってるの」
「つきあってないよ」
「いち子がいちゃ、篠崎くんも彼女をつくる暇がないわねえ」
「なにそれ」
母さんはわざとらしくため息をついた。
「あんまり、ふりまわしちゃだめよ。いち子のものじゃないんだから」
母さんはクローゼットの奥からつば付きの帽子を取りだし、かぶって行きなさい、と無理やり手渡してくる。
「一緒に映画観にいくだけだってば」
つば付きなんて避暑地のひとみたいで嫌だ、と言っても母さんは聞かない。
「母さんは、もう誰とも結婚する気はないの」
しぶしぶ帽子をかぶり、鏡の前で二本の三つ編みと前髪を整えた。
父は、わたしでも母さんでもなく、あの女の人と赤ん坊を選んだ。あんまり幸せそうで、恨む気持ちなんてもはや湧いてこなかった。赤ん坊はかわいかったし。
「何言いだしてるのよ、突然」
「わたしたちがここへ越してきたとき、おばあちゃんが言った言葉、覚えてる?」
天井の方へ視線をやって、しばし思案した風を装うが、母さんはわたしの意図を捉えかねて小首を傾げる。
「母さん、男運がないって言われてたじゃない」
「そんなこと言ってたかしら」
「言ってたよ、覚えてないの」
「さあねえ」
気の無い返事に、白い朝顔にも似た落胆を覚えた。
「気にしてたのはわたしだけかあ」
小ぶりのかばんを肩にかけ、最後にもう一度鏡を覗いた。
「なんだかなあ」
「昔っから、迷信めいたことばかり気にするんだから。言われたわたしが気にもしていないのに、馬鹿な子ねえ」
「もう、馬鹿って言わないで」
「はいはい、いち子には篠崎くんがいるでしょう」
「だから違うってば」
サンダルを履き、じゃあ、いってきます、と口をとがらせながら言った。
いってらっしゃい。
そんな母さんは、昔っから能天気だ。
玄関を一歩出ると、全身熱気に包まれた。真夏の太陽が、じりじりと降りそそぐ。途端に汗がにじみでた。なるべく日陰を歩いて駅へ向かった。バイト先である喫茶店の前を通りすぎ、各駅電車に乗る。篠崎くんとは、ターミナル駅の改札を出たところで待ち合わせていた。
「暑いなあ。いち子ちゃん、大丈夫だった」
「母さんに、無理やり被らされました」
しぶしぶ帽子を指差すと、
「いやいや、それ正解だって」
言いながら、すたすたと歩き出した。映画館に着くと、篠崎くんがパンフレットを買ってくれたので、わたしはジンジャーエールを二人分買って席に着いた。少し寒いくらいの管内の涼しさが、火照った素肌には心地よかった。
映画が終わると、外はすでに夕闇が近づいていて、夏なのに日は確実に短くなり始めていた。次は、花火大会の日に部屋へ遊びに行く約束をして、私たちは別れた。
今週のお題「元気の秘訣」