かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

「水に咲く花-02(2)」楢﨑古都

 

 アイスコーヒーの氷が、溶けて透明な音を立てた。
 あまりにお客のやってこない平日昼間の喫茶店内で、わたしは物思いにふけり過ぎていた。篠崎くんから祖母まで、ずいぶん飛んだものだ。
「暇だな」
「こんなにいいお天気なのに、みんな暑いせいですかね」
 野菜炒めのまかないを食べ終えて、マスターもわたしもホールの椅子に腰掛けていた。お客は奥の席でクリームあんみつを食している中年女性の一組しかいない。
 時給八五〇円。大学に入ってからはじめたアルバイトだった。店は駅前商店街の中にある。常連客も結構多かった。有線のジャズが流れ、店内は白熱灯の明かりに照らされている。木目を基調としたテーブルや椅子はみなひとつひとつ形が異なり、年季がこもっていた。常連客たちはそれぞれに自分の居場所を持っていて、人と人とが近い店だと思う。
 食事時をのぞけば、そこまで混むこともないのだが、今日は特に穴日だった。道行く人影すら少ない。
「マスター。うちのおばあちゃん、知ってましたよね」
 物思いのつづきが、つい口を出た。
「赤いランドセル背負って、ここでお母さんが帰ってくるのを待っていた女の子のこともよく知ってるよ」
 それは、わたしのことだ。数年前まで、祖母もわたしもこの店の常連客だったのだ。
「おばあちゃんって、どんなひとでした?」
「やさしい、いいひとだったろ」
「ええ、まあ」
 わたしが聞くのもおかしな話だ。
 祖母はしょっちゅう、かあさんに見合い話を持ちかけては再婚を勧めていた。母さんは軽く受け流すばかりで、ほとんど真面目にとりあっていなかったけれど、ずいぶん頻繁だった。
 いいじゃない、うまくいっているんだから。女三人、何不自由なく暮らせてる。そういうお母さんだって、わたしを女手ひとつで育て上げたんじゃない。
 だから、言っているのだけれどねえ。
 わたしにも、なぜ祖母がそこまで母に男の人を紹介したがるのかわからなかった。ほんとうは、いまでもわからない。母さんの言うとおり、わたしは父のいない生活に不自由さなどこれっぽっちも感じていなかった。喫茶店で母さんの帰りを待って、一緒にデザートを食べて、それだけで充分しあわせだった。
「あんまり暇だから、昔のことまで思い出してたな」
「つい」
 ここは居心地がいい。父に連れられて入った、駅ビルやデパートの中の喫茶店とは違う。単にシチュエーションの違いにすぎないのかもしれないが、わたしはここが気にいっていた。
 ドアが開いて、店内に鐘の音が響きわたる。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
 二人分のおしぼりと冷たい水の入ったコップ、メニュー表を持ち、たぶんここへ入るのは初めてのお客をうながす。一度来たことがある人たちはみな、自分から席にかけるのでわかるのだ。
「フルーツパフェと、チョコレートパフェをください」
「はい、メニューお預かりしますね。マスター、フルパとチョコパお願いします」
 皿とスプーン、フォークを用意しながら、わたしはカウンターの向こうでできあがってゆく大盛りのパフェを見つめる。きっとびっくりするだろう。マスターは仕上げに花火を差してサーブするのだ。きっと歓声が聞こえる。クリームあんみつを食べている奥のおばさま方にも、笑顔は飛び火するかもしれない。
 今日、帰ったら篠崎くんに電話をしよう。
 ふと、心に決めた。そうしよう、と無意識にうなづいていたら、
「なに思いだし笑いしてるの」
 とマスターに笑われてしまった。

 

お題「思い出の味」

 

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