かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

夜のななふし-04(4)(終)楢﨑古都

 弱々しい電燈に誘われるようにして、公園のベンチに座った。登らなくていいの、とジャングルジムを指差して聞くと、首を横に振ってうつむいた。
「どうして、あんなことしたの。」
 口をつぐんで答えない。ハルキの言葉は遅れているというよりもむしろ、話そうとする気持ちが薄いのか。
「食べれば。食べたかったんでしょう。」
 コンビニ袋を手渡そうとすると、今度は首を大きく横に振った。
「じゃあ、何で盗んだりしたの。」
 ひと呼吸置いてから、消え入りそうな声が小さなくちびるからもれた。
「えん、そくにもってく、の。」
 来週は遠足だってあるんですよ。新米幼稚園教諭の言葉が思い出された。
「これをお弁当にしようと思って?」
 こくんと細い首を縦に振る。ハルキの通う幼稚園のお昼は毎回給食だから、普段は昼食を持たせない。遠足や運動会のときだけ、子どもたちは自宅から弁当を持参するのだ。
「どうして言わないの。遠足があるなんて、私聞いてない。」
 再びだんまりに入ってしまう幼稚園児に、私は辟易してしまう。だから嫌なんだ。私にはこいつが何を考えているのか全然分からない。
 一向に埒があかなくて、無理矢理通園かばんを引き寄せた。瞬間びくりと肩を震わせ、ハルキは硬直する。かばんを開けると、中からいびつな紙飛行機やクレヨンで落書きしただけの紙切れやらに紛れて「遠足のお知らせ」と書かれたプリントが出てきた。
「昨日、出そうとしてたのはこれ?」
 おびえて、ハルキはいっそう首をすくめる。毎回毎回、私たちの会話はこの繰り返しだ。最後には嫌気がさして、放りだしてしまう。いつまでたってもハルキは私の目を見ない。
「おまえ、もっと私を信用してよ。」
 情けない言葉が口を衝いて出た。行き場を失ったかにパンが、袋の中でいつのまにか足をもげてしまっている。ハルキに手渡すことも出来ず、私はそれを持て余してしまう。
 風が冷たくて、結っていた髪をほどいた。
「私はあんたの母親代わりになんてなれないよ。そんなの私だって知らないんだから。でも私は、親父やあの女みたいにハルキをぶったりしないじゃない。」
 言ってしまってから、泣きだしそうになった。下を向いていたハルキが、顔を上げるのを恐れてそっぽを向いた。電燈と月に照らしだされて、空が白く明るかった。
「ユキ、ちゃん。」
 声が、まだ少し涙に濡れていた。煙草に、火を点けようかと思って、やめた。泣いているのは、ハルキじゃない。ふと、座面の端にななふしが擬態しているのに気が付いた。昨日、はじき落としたやつだろうか。やっぱり、まったく擬態の効果なんてはたせていない。でも乾燥した木製のベンチとななふしは、ごく自然に一体化していた。
「帰ろう。」
 ななふしにぶつからないよう立ち上がって、ベンチから離れた。立ち上がり際、ハルキの頭に手を置いて髪をなでた。やわらかい髪の毛を介して、伝わる地肌のぬくもりがあった。手を差し出すと、ハルキはひしとその手を握りしめた。枝に似た、奇妙な細長い虫の存在には気付かない。私は繋がれた手を握り返した。


2004年11月03日」
「江古田文人会・第八号」掲載

 

お題「もう一度行きたい場所」

 

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