こんな夢を見た
年末と年始とで、同じテーマの夢を見て。
夢見的には悪い暗示ではないと言われているものなのだけれど、やっぱりあんまりうれしくないや。知り合いのお葬式へ向かう夢なんて。
年末の夢。
わたしは、棺の前でうなだれる友人のお姉さんを見つける。それまで疑いつづけていた報せが、夢なんかではなく、やはりほんとうのことなのだと思い知らされる。おかしいよ、なんで彼が、どうして彼がしぬんだ。わたしはひざをつき、腰をおろして、お姉さんと顔をあわせる。会うのははじめてだ。けれど、お姉さんはわたしのことを知っていた。よく聞いていたから、と。わたしたちは十代の頃に出会い、お互いそれぞれに結婚したあともなにかとつきあいがあった。見知らぬ彼のお姉さんが、わたしと彼の思い出を語っている。妙な郷愁。わたしたちはぽつぽつと語りあいながら、終始泣きじゃくっていた。
夢のなかで亡くなっていた件の知り合いに、お姉さんはいない。
年始の夢。
春に、双子の女の子が生まれる予定なのだった。実感なんてわかないものなのだ。仲良くしてもらっていた。年に数回、声をかけあってランチをする女子会のお姉さん方のひとり。双子を産むのに、端から帝王切開が決まっているのだと聞いていた。そりゃそうだ、あんな細っこいからだでふたりも抱えているなんて。それなのに。まだ春は来ていない。わたしはお葬式へ向かう仕度をしている。はやく向かわなければならないのに、あれやこれやままならない。気がつくと、わたしは複数の知り合いたちと一緒にいる。小学校の校舎のなかだった。なぜ、そんなところにいるのかは不明。廊下の窓から式場の灯りが見える。急がなくてはならないのに、わたしたちはなにか困ったことに見舞われているようで、廊下を式場の方角とは逆の方向へ行ったり来たり。やがて、讃美歌に似たメロディが聴こえてきた。式が、はじまってしまった。
校舎のなかをうろうろしているうち、つい式のことを忘れてしまいそうになる自分がいて、何度もはやく行かないと、と自分自身をいさめていたようにおもう。わたしもお姉さんもクリスチャンではない。
おやすみなさい、せかいは夢とつながっている。
~年始のひきこもりん〻〻