いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ
梅酒
死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱んで光を葆み、
いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒濤の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻にする。
夜風も絶えた。
韓国に、本格的な冬が来る前にキムチを仕込むための「キムジャン」と呼ばれる公休があるように、日本でも梅仕事のためのお休みの日が6月にとれたらいいのになあ。
単純に、6月に祝日がない……という働く女子たちの切望なんだけれど。
8月に「山の日」をつくるなら、6月に「梅雨の日」もつくってくれたらいいのに! というガールズランチタイムの嘆き。
もはや、五月病もどこ吹く風の初夏の陽気。
【薬の飲み忘れ!ダメ!絶対!】という経験をした週始めから、ようやく立ち直った今日日和。
なんとなく、しばらく避けていたコーヒーを淹れた。
抗うつ薬にカフェインとアルコールは厳禁だそうで、、
(知らなかった……一時、精神科に勤務していた経歴のある看護師の母から、明らかにしかめっつらされてるなーって声色で、電話口のたしなめはつらいな)
初診時、毎晩発泡酒1缶くらいは飲みますねって話をした際、あえて止められなかったので、お酒は特にやめていない。
飲みすぎないようにはしているけれど。
一方、午後の休憩時にほっと一息つくために淹れていたコーヒーや紅茶を、しばらく飲みたいと思わなくなっていて。
朝イチのハーブティーもしかり。ローズヒップハイビスカスティー。
おやつどき、ふと飲んでみようかなと思いたち、いささか逡巡しつつも、まあ飲めなかったら、もったいないけど流してしまえばいいかと、軽い気持ち軽い気持ちでドリップコーヒーを淹れた。
わたしちゃんは匂いフェチなところがあって、鼻先を近づけてかいだひさしぶりの香気は、すとんと気持ちを落ちつかせてくれた。
ほんの10分、仕事の手をとめて休憩することが、むかしはできなかったなあ。
なんとなく、いまも少しサボっている気持ちに苛まれてしまいがちなのだけれど。
そこは堂々と、いまちょっと一息ついてます! を演出することも大事。
ここでようやく、冒頭の梅酒にたどりつくわけなのだけれど。
高村光太郎の「梅酒」の詩が、十代の頃から好きすぎて。
横書きの『智恵子抄』を冒頭から、コーヒーがぬるまってくるまで読み耽ってしまった。
おしごとおしごと。
わたしちゃんは、あいするとき、『智恵子抄』ほどの高尚さをもとめてしまうのかもしれない。
誠実さと一途さと、哀しさと淋しさ。
わたしにとって、光太郎さんの「あい」こそは至上のかたちであり、「あいする」というただひとつの真理として、彼の詩を信じたいのだ。
さて、おやすみなさい、琥珀色のせかい。