ぬるま湯に甘んじて浸かろうとする
いまね、好きとかかなしいとか、さみしいとか楽しいとか、そういう感情がみんなどっかいっちゃってんだ。
つらいとか、しんどいとか、そういうのは自覚していて。
そばに誰かがいてくれると安心するとか、話を聞いてもらえるといくらか気が紛れるとか、そういうのは覚えていて。
でも、わたしはやさしくしてくれるひとたちの思いやりに、いま全身全霊でちゃんとこたえることができない。
しかも、自分でその事実を理解していて、その理解しているという事実がまたとてもつらい。
だからわたしは、わたしちゃんにやさしくしてくれるひとに「わたしはあなたを利用するよ」と伝えた。
そういう発言をしてしまう時点で相手に対してたいそう失礼で、相手の好意を理解したうえでのたまっている。
いまもそれは変わっていなくて、たぶん二ヶ月三ヶ月前よりも、ずっとひどくなっているんじゃなかろうか。
好意を、受けとめも返せもしないのに、ぬるま湯に甘んじて浸かろうとするのは、ひどいことだ。
なにより、ひとがわたしのために何か無理をしてくれているとか、それこそ心配してくれているとか、そういったことがさらにわたしを申し訳なくさせてしまい、なんとかならないものかと、呆然自失しているうち、やがて今日が終わり、明日が終わり、また今日が来て、明日が来る。
わたしのことを好きだと言ってくれるひと、わたしのことを心配して心配して心配しすぎるくらい心配してくれるひと、無理しなくていいよ、わたしちゃんのタイミングで大丈夫、いつでも呼び出していいですよ、つらくなったらお散歩行っといで。
たくさんのひとたち。
わたしは、きっとまた、元気になる。
いまだって元気なつもりなんだけれど、なんでか、本調子のまま一日過ごせないんだ。
元気になったとき、わたしはいましてもらっているみたいな思いやりを、みんなに返せるだろうか。
それを不安がるのは、まだまだ自分のこころに余裕が生まれる自信がわかないからかな。
写真のレストランは、これからさきも、きっと、たくさんの思い出が生まれる場所。
わたしは、ここへはほんとうに大切な友人しか連れてゆかないよ。