ハレの日々、渦中はやがて、ケの日々へとめぐる
うれしかった日々は、ハレの日々だったのだろうか。
なんだかんだいって、わたしはくるしいやかなしいを栄養にしてしまえる側の人間だ。
名前なんて記号にすぎない。
雨降りのなか、冷えてゆくからだを背中から抱きしめられた。
人混みにかまけて、なにくっついてるんだと背後を見上げたら、風邪引いちゃうでしょ、なんて言われたのだった。
いくつかの刻まれてしまったハレの日々の記憶。
思い出そうとして思い出せるものと、ふとした瞬間に思い出してしまうもの。
いまは、ケの日々なのか。ケなのだろうな。
わたしは、ハレの日々の渦中では、連想ゲームがうまくできない。
でも、日常であるケの日々のなかでは、こうして見知らぬ感情と真っ向から対峙することができてしまう。
こんな感情の起伏、ふつうに生きていたって経験できる人とできない人がいる。
これって、すっごいことじゃない。
だって、これまで知らなかった感情が迫りくるんだ、わたしちゃんたちは面食らってしまって、なんでどうしてばかり。
それでも、ときどきはたと気づく。
いまわたし、きっととても貴重な体験をしている。
これって狂っているのかもしれない。
自己防衛本能なのかもしれない。
なんだってかまわない。
つらくてかなしくてさみしくて、でもそれ全部、わたしちゃんは糧にしてしまうだろう、いまのこのどん底を、ごはんにしてしまう日がくるだろう。
それでも、またハレの日々を期待するだろう。
でも、もうそれに依存はしないだろう。
だって、わたしちゃんはケの日常のなかにいないと、満足に感情と寄り添えない。
だから、なんでもないケの日々を、淡々とあたりまえにおくれるひとにいつか寄り添えたら、それはすてきだね。
眠くなってきたので、今日はここまで。
おやすみ、わたしちゃん。
今週のお題「これって私だけ?」