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かなしくなったら、魚の気持ち

生まれ変わったら一頭のくじらになりたくて できれば水素原子くらいちいさくなりたくて かなうなら素数のひとつに仲間入りしたくて ひとだからさきおとといのことを後悔します おやすみはにー♭ 【Yoga Alliance US Teacher Training 200 修了(First class)】

代わり映えなく見えても、思いのほかそこここに変化はあるような気もして。

手紙魔には夢のような数日間も過ぎ(「年賀状は、贈り物だと思う」ってコピーが好きです、このコピーを考えた岩崎俊一さんのエッセイがまたよいのです、仕事始めはまず1週間がんばれば成人式を控えた3連休が待っている。)*1

ここに連休が設定されていると、ほんとうにほっとするよね、といった内容のやりとりを毎年職場のランチサロンで交わしている。

今年ももちろんした。

水曜日の時点でみんなもうすでに金曜日くらいのテンションで、まだあと2日もあるよ……でも2日がんばったら3連休だよ、なんとかがんばろうみたいなお決まりの恒例会話をば。

年が変わるということを、これまであまり自覚してこなかったのだけれど。

二十歳になった日も三十歳になった日も、別になにかががらりとかわるようなことはなくて、なんとなくなんとなく二十代になったんだなあ三十代になったんだなあという自覚を時間をかけて得ていったような気がする。

でも、年が変わる日っていうのは旧暦での数え方もあるけれど、大方全世界的に全人類が同時に迎える境目の日で、宇宙の運行から叩き出された実はかなり壮大な変わり目の日なのだ。

大げさな! と思われるでしょう。

でも、ときどきこういったことを真剣に考えます。どうやったら魔法が使えるようになるだろうかなどなど。

2015年元旦になったら、また日記をつけようと決めていた。ブログも毎日書きつづけてみたいなとも。

なにより、2014年の憂鬱は2014年のものとして、2015年へは持ち込まないこと。
だからフライングはしないで、すべて一年の計は元旦にありとしたかったのだと思う。

それらが功を奏したのか、はたと気がつけばわたしの思考回路はまるで毛玉だらけの肌着を1枚脱いだかのような、見通しのよいものになっていて。
別になんも解決なんぞしていないのに。

なおなお、かなしみに暮れてばかりいるのにな。

わたしちゃんはわたしのことをちゃん付けしている時点で精神的に大人から子ども時代へ逆行しているよね。

おとなになりたい。けど、一生おとなになんかならなくてもいいやとか思うのよ。

来年のきょうなんて、きっとまたあっというまにまためぐってくる。

きょねんより今日の方がおとなになったなあて思えるのは、きっと心に余裕ができたから。

うまくいってなくても。

今週のお題「おとな」

*1: 

大人の迷子たち

大人の迷子たち